厭離庵

敷紅葉

嵯峨野に佇む臨済宗天龍寺派の寺院。小倉山山麓のこの辺りは、藤原定家が「小倉百人一首」を編んだ地と伝わる。茶室 時雨亭の立つ庵は、歌づくりの風情を漂わせ、晩秋には一面散紅葉のレッドカーペットで覆われる。

厭離庵

京都厭離庵について

基本情報

山号寺号
如意山厭離庵(にょいざんえんりあん)
宗派
臨済宗天龍寺派
創建
不詳 - 1772年、霊元法皇により厭離庵の号を下賜。
開山
霊源慧桃(れいげんえとう)
本尊
如意輪観音
駐車場
駐車場なし
交通機関
嵯峨釈迦堂前バス停徒歩5分
住所
京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2

概要

嵯峨野にひっそりと佇む臨済宗天龍寺派の寺院。 鎌倉時代初期、小倉山山麓のこの辺りは、宇都宮頼綱(蓮生)の中院山荘が結ばれていたところで、「新古今和歌集」の撰者である藤原定家が、蓮生の依頼で「小倉百人一首」をこの地で編んだと伝わる。 江戸時代中期に定家の子孫である冷泉家が再興し、霊元法皇から「厭離庵」の号を下賜された。 ヨシ葺きの茶室 時雨亭の立つ庵は、歌づくりの風情を漂わせ、庭園は晩秋の散り紅葉で一面レッドカーペットで覆われる。

見所

観光名所
本堂 - ジェーン台風で倒壊し、昭和28年に裏千家出入の数寄屋大工岡田永済により建立された。
時雨亭 - 大正12年建立の茶室。六世常覚尼が茶道を志し、藤原定家の歌に因み、岡田永済によって建てられた。
書院庭園 - 晩秋の散り紅葉が美しい。
柳の水 - 藤原定家が和歌を書く際に使い、為家も愛したとされる。

行事

11月~12月上旬
秋の特別公開 - 紅葉の時期だけ一般公開される。それ以外の時期の拝観は予約制。

歴史

鎌倉時代初期
小倉山山麓には、藤原定家の小倉山荘があり、この地で「小倉百人一首」を編んだと伝わる。
その後、荒廃。
江戸時代中期
冷泉家が修復した。
1772年
霊元法皇により「厭離庵」の号を下賜され、霊源慧桃によって開山。天龍寺派となった。
明治時代
再び微衰。
明治43年
貴族院議員で実業家の大村彦太郎が、仏堂と庫裡を建立し復興。山岡鉄舟の娘 素心尼が入り、以後尼寺になる。
2006年
男僧 玄果入山。

撮影後記

 ギャラリーを見ていただければわかりますが、真っ赤っかです。 2010年のときは結局、時雨(しぐれ: 晩秋から初冬の気まぐれな空模様から降る雨)を待って、午前中から閉山までお邪魔してしまいました。 関東などの太平洋側では、時雨はあまり降りませんが、嵯峨野の空は北国のように気まぐれでした。
 この散り紅葉は比較的遅くて、例年12月に入ってからになります。 ガイド本にも載っている紅葉名所で、狭い境内なので混雑で敬遠しているかもしれませんが、さすがに師走になると観光客も減って、ほどほどの混雑ぶりで、ゆっくり拝観できます。 15時を過ぎると、ほとんど貸し切り状態になりました。 私は見たことがありませんが、京都の紅葉がピークとなる11月下旬の苔庭に斑に散った様も素敵でしょうね。

更新履歴

2011年10月23日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

厭離庵紀行のコメント

コメント欄

学生団体で、収益などは一切ないの

で使わせて頂きます。

突然のコメント失礼します。

PRINKという団体です。10月中に

Livrerという大学生向けのフリーペ

ーパーを発行します。

そこで秋の紅葉スポットを紹介する

ページがあり、猒離庵について紹介

する予定です。

猒離庵の魅力を読者により伝えるた

めにこちらの写真を使用させて頂き

たいと思いコメントさせて頂きまし

た。許可をお願いします。

お返事お待ちしています。

s_a.e.611@ezweb.ne.jp

急なご連絡失礼します
私、bs朝日で放送している「京都1200年の旅」にて
京都の厭離庵の紅葉写真を探しており、あなたさまの写真を使用させて頂きたいと考えております

イースト田島
masaru510185000@yahoo.co.jp

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野