六角堂

いけばな発祥の地

聖徳太子創建と伝わる天台宗系単立の古刹。本堂が六角形であることから「六角堂」と通称されている。「いけばな発祥の地」として知られ、本堂北側に建つ本坊は池坊と呼ばれ、日本最大の華道家元して名高い。

六角堂

六角堂について

基本情報

山号寺号
紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)
通称
六角堂(ろっかくどう)、六角さん
宗派
天台宗系単立
創建
伝 587年(用明天皇二年)
開基
伝 聖徳太子
本尊
如意輪観音 - 秘仏。
札所
西国三十三箇所第十八番、洛陽三十三所観音霊場第一番
駐車場
駐車場なし - 付近のコインパーキング等利用。
交通機関
地下鉄烏丸御池駅下車徒歩3分、阪急烏丸駅下車徒歩5分
住所
京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
サイト
六角堂 華道家元池坊

概要

聖徳太子が創建したと伝わる天台宗系単立の古刹。 寺号は頂法寺だが、本堂が六角宝形造であることから「六角堂」と通称されている。 比叡山の堂僧であった若き親鸞が、六角堂に百日間参籠し、太子の霊告を授かり、後に真宗開宗の根源となった。 平安時代より庶民の信仰を集め、革堂(行願寺)が上京の町堂に対し、六角堂は下京の町堂として町衆の生活文化や自治活動の中核となる役割を果たしてきた。 また、「いけばな発祥の地」としても知られ、本堂北側に建つ頂法寺本坊は池坊と呼ばれ、日本最大の華道家元して名高い。 かつて池坊の僧が、本尊に花を供えることとなっており、室町時代以降、立花の名手を数々輩出し、代々、池坊の華道宗家が六角堂の住職を兼ねることとなった。

見所

国重要文化財
木造毘沙門天立像 - 平安時代後期作。
観光名所
本堂(六角堂) - 六角宝形造で六角堂の由来になっている。明治10年の再建。本尊 如意輪観音菩薩、聖徳太子像、毘沙門天立像が安置されている。
如意輪観音菩薩 - 秘仏本尊で、聖徳太子の持仏といわれる。花山法皇の一千年忌にあたることから2008年と2009年の2度にわたり136年ぶりに開帳された。
太子堂 - 開山堂で、聖徳太子2才像が安置されている。
親鸞堂 - 29歳の親鸞が、六角堂に百日参籠され、夢中に四句を授かり浄土真宗を開宗したとされる。夢のお告げを聞いている姿「夢想之像」と、六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置している。
鐘楼 - 昭和29年に再鋳。かつて下京に危機がせまると、早鐘が鳴らされた。
いけばな資料館 - 池坊会館3階にあるいけ花に関する歴史資料を中心に常時展示。(要予約)
WEST18 - 池坊会館の南隣に建つ池坊いけばな研修教室などが入るビルで、展望エレベーターからは六角堂の六角形の屋根が見下ろせる。
へそ石 - かつてここが京都の中心地だったとされる。もとは門前の六角通りにあったのを、明治のはじめに移した。古都と華道の要となっているので「要石(かなめいし)」とも称される。
地蔵菩薩 - 北向地蔵、わらべ地蔵、一言願い地蔵、合掌地蔵などがある。
十六羅漢 - ニコニコ顔の羅漢像。
聖徳太子沐浴の池跡 - 池の側に僧侶の住坊を立てたという「池坊」由来の場所。
池坊専応口伝 - いけばな発祥の地を示すモニュメント。初めていけばなの理論を確立したといわれる「池坊専応口伝」の序文を掲げる。
御幸桜(みゆきざくら) - 早咲きの枝垂桜。996年、花山法皇が行幸され、花山院 前内大臣がこの桜を見て「世をいのる 春の始めの法なれば 君か御幸の あとはありけり」と詠まれたことから。
六角柳 - 平安時代から六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれると信じられ、「縁結びの柳」として人々に親しまれている。

行事

1月5日
初生け式
4月8日
花まつり
4月中旬
花供養
池坊中央研修学院祭
7月下旬
唐崎明神祭
11月中旬
旧七夕会花展

歴史

587年
寺伝によれば、聖徳太子が四天王寺建立の用材を探しにこの地を訪れた折、池で水浴をするため多良の木にかけた持仏の如意輪観音が、木から離れなくなった。その夜、その観音が夢枕に現れ、この地にとどまり衆生済度をせよとのお告げがあり、六角形の堂を建立し、如意輪観音を安置したのが由来と伝わる。
794年
「元亨釈書」によれば、平安京造営の際、六角堂が条坊制街路の中央にあたり邪魔なため、桓武天皇の勅使が出向いて六角堂に向かって移動を願うと、俄かに黒雲が現れ、自ら北へ約15メートル動いたという。その跡に残った礎石が「へそ石」である。
822年
嵯峨天皇の勅願寺となった。
996年
花山法皇の行幸があり、西国三十三所観音霊場になったといわれる。
平安時代
聖徳太子太子信仰と、如意輪観音の霊験で知られ、洛陽七観音の一つとして栄える
1201年
比叡山の堂僧であった若き親鸞聖人が、六角堂に百日間参籠し、95日目の暁の夢中に聖徳太子の四句の偈文を得て、浄土宗の祖 法然の専修念仏に帰依したといわれ、浄土真宗開宗の根源となった。
1469~1486年
文明年間、池坊の僧が、本尊の如意輪観音に花を供えることとなっており、池坊12世 池坊専慶(いけのぼうせんけい)をはじめ立花の名手を輩出。代々、華道家元の池坊が、六角堂の住職を兼ねることとなった。
1461年
山城大飢饉では、将軍足利義政が、六角堂の前に救済小屋を建て、時宗の僧 願阿に貧窮者に対し粥施行(かゆせぎょう)を命じた。
応仁の乱後
下京の町堂として、町衆の生活文化や自治活動の中核となった。また、京都に乱入する土一揆や天文法華の乱などでは出陣する軍勢の集合場所となっった。
近世
観音霊場の札所として庶民の信仰を集め門前町が発展し、洛中有数の旅宿町として発展した。
明治10年
本堂が再建された。

撮影後記

 およそ京都らしくない烏丸通の近代的なビル街の谷間に建っている京都屈指の古刹です。 あくまで寺伝で信憑性は低いですが、飛鳥時代587年創建ということで、京都最古の寺とも云われる太秦の広隆寺より古いことになります。 また、平安時代以前は今より南に15メートルほどの場所にあったそうですが、それでも今も昔も京都の中心地に建っていたことは変わりません。 境内には有名な「へそ石」や、池には焼失前の旧六角堂の礎石なども残り、近未来的な空間の中にも歴史ロマンをそこはかとなく感じさせてくれます。 なんとなく英国ロンドンのシティのビル街に残るロンドンウォールを想い出しました。
 なお、私は華道には疎いですが、池坊会館3階にある「いけばな資料館」は、予約すれば誰でも無料で見学できるそうです。 その道の方は、お参りついでに見学すればいいかもしれません。

更新履歴

2011年11月4日
初版をアップロードしました。
2012年1月19日
ギャラリーに作品を6点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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