京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
臨済宗相国寺の塔頭。 もとは大徳院と称したが、1490年に足利義政の塔所影堂となり、義政の法号により「慈照院」と改称された。 当院第七世の仏性本源国師は、桂宮初代智仁親王、二代智忠親王と親交を深め、桂宮家の菩提所となったことから、塔頭の中でも格式が高い。 1629年には桂宮が境内に御学問所を建てられ、現在の書院となっている。 また国師は千宗旦とも交流があり、宗旦好みの茶室には「宗旦狐」の軸が掛けられている。
「京の冬の旅」のパンフレットによれば、宗旦好みの席には粟田焼の布袋像を安置し、像の首は千利休の首と替えられるようになっていたとのことです。
利休切腹後に、世間体をはばかって公然と利休像を祀ることができなかったための細工であったとか。
また、宗旦に化けて見事なお点前を披露していたことで知られる「宗旦狐」についても面白い話が。
茶室開きが行われたとき、本物の宗旦が遅れてやってきて、慌てて茶室の窓を突き破って逃げ出していったため、慈照院の茶室の窓は、普通の茶室の窓より大きくなってしまったとの言い伝えもあるそうです。
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