京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
平安時代初期には成立していた天台宗の古刹。 「伊勢物語」の主人公とされる在原業平が晩年の閑居跡で、「なりひら寺」とも称される。 文徳天皇が染殿皇后の世継ぎの子の安産祈願で、後の清和天皇が誕生されたことから、文徳天皇の勅願寺となった。 応仁の乱で焼失し、江戸寛文年間、藤原北家の花山院家が帰依して再建され、花山院の菩提寺となった。 本尊の秘物延命地蔵菩薩は、子授けや安産に御利益があるとされる。 境内には業平の墓と伝える宝篋印塔や業平が晩年に塩焼きの風流を愉しんだ塩竈跡が残り、「小塩」の地名はこれに由来している。 春には、三方普感の庭に見事なしだれ桜が天蓋の如く覆う。
お邪魔したのは、お目当ての銘桜咲く頃。
あまり知られていないらしく、訪れる人も少なかったので、お寺の方と桜談議が弾みました。
善峯寺からココ十輪寺のある辺りは小塩町といいます。
業平は晩年、塩焼の風流を楽しんだといわれ、「小塩」の地名の由来といわれています。
裏山には、「業平の塩竈跡」があります。
元カノであった二条后が大原野神社に参詣された折に、塩を焼いてその想いを伝えたといわれる故事がある塩釜です。
塩を焼くとは何ぞやと調べたところ、平安時代の貴族は、塩を焼いてその煙を楽しむ嗜好があったとのこと。
紫色の煙を天高く上げ、大原野神社にいるであろう二条后に、その想いの丈を伝えたそうです。
さらに裏山には、業平の墓と云われる宝篋印塔もあったので、業平についても調べてみました。
俗に平安のプレーボーイとも云われるためか、業平ゆかりの場所は日本各地にあって、東国の東京にもありました。
先日、隅田川花火大会に行ってきたのですが、浅草の隅田川にかかる「言問橋(ことといばし)」も業平の詠んだ歌に因む場所だそうです。
東京大空襲での悲しいお話もありますが、一青窈の「一思案」という曲で、「白地図を埋めたかったのに言問橋で初恋を落としてしまった娘」というフレーズを知っていたので印象に残りました。
はじめまして。当山に参拝してくださいまして、ありがとうございます。なりひら桜は、今年も満開です。また、お参りくださいませ。
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その節はありがとうございました。樹勢が衰えはじめたということを聞いて心配しましたが、今年も満開ということで安心しました。またよろしくお願いいたします。