京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
真言宗醍醐派の古刹で、「日野薬師」と称され親しまれている。 藤原氏北家にあたる日野家の菩提寺で、1051年に日野資業が薬師如来像を造って、日野家伝来の小像の薬師如来を胎内に収め、薬師堂を建て、この地にあった日野家の山荘を寺院に改めたことに始まる。 代々日野一族が堂塔を整え荘厳美麗を極めていたが、度々の火災で焼失し、現在は国宝 阿弥陀堂と重文 薬師堂が立つのみである。 国宝 阿弥陀堂は、藤原時代に流行した典型的な阿弥陀堂建築で、堂内には定朝様の国宝 阿弥陀如来像が安置され、内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残り、さながら現世の極楽浄土の世界を表している。 また、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が当寺で生まれ、9歳で出家するまで過ごした地といわれる。
醍醐寺の南方、日野の里と呼ばれる地にある日野家の菩提寺です。
法界寺とは宗派が異なりますが、浄土真宗の親鸞聖人が出家する9歳まで遊んだ地であります。
すぐ隣には、浄土真宗の聖地である日野誕生院もあります。
また、「方丈記」を著した鴨長明の隠居地でもあるそうです。
日野家は藤原北家の由緒ある貴族で、室町時代には、足利将軍家との縁戚関係を深くもった家柄で、業子、康子、栄子、宗子、そして有名な日野富子が将軍の正室となっています。
また、日野という地名にも面白いエピソードがありますので簡単に紹介します。
時代は遡って飛鳥時代後期のこと、日野家の初代とされる藤原真夏(ふじわらのまなつ)が、この地を授かりました。
奈良の春日野に似ている事から、地名を春日野と改め萱尾神社を創建し、社殿の前に「春日野」と記した標木を建てました。
ある日、一匹の鹿が現れ「春」の一字の標木だけ食べてしまい、それ以来、「日野」と呼ばれるようになったとのことです。
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