法界寺

日野薬師

平安時代創建の真言宗醍醐派の古刹で、「日野薬師」と称され親しまれている。藤原氏北家にあたる日野家の菩提寺である。藤原建築の阿弥陀堂と定朝様の阿弥陀如来像は国宝。また、親鸞聖人が生まれた寺でもある。

法界寺

法界寺について

基本情報

山号寺号
東光山法界寺(とうこうざんほうかいじ)
別称
日野薬師(ひのやくし)、乳薬師(ちちやくし)
宗派
真言宗醍醐派
寺格
別格本山
創建
1051年(永承6年)
開基
日野資業(ひのすけなり)
本尊
薬師如来
札所
西国薬師四十九霊場38番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪バス日野薬師バス停下車すぐ、地下鉄石田駅徒歩20分
住所
京都府京都市伏見区日野西大道町19

概要

真言宗醍醐派の古刹で、「日野薬師」と称され親しまれている。 藤原氏北家にあたる日野家の菩提寺で、1051年に日野資業が薬師如来像を造って、日野家伝来の小像の薬師如来を胎内に収め、薬師堂を建て、この地にあった日野家の山荘を寺院に改めたことに始まる。 代々日野一族が堂塔を整え荘厳美麗を極めていたが、度々の火災で焼失し、現在は国宝 阿弥陀堂と重文 薬師堂が立つのみである。 国宝 阿弥陀堂は、藤原時代に流行した典型的な阿弥陀堂建築で、堂内には定朝様の国宝 阿弥陀如来像が安置され、内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残り、さながら現世の極楽浄土の世界を表している。 また、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が当寺で生まれ、9歳で出家するまで過ごした地といわれる。

見所

国宝
阿弥陀堂 - 1226年、藤原宗忠により建立とされる。藤原時代に流行した典型的な阿弥陀堂建築。方五間の堂周囲に1間の裳階(もこし)が巡らされている。内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残る。
木造阿弥陀如来坐像 - 11世紀末頃の作。阿弥陀堂の本尊。平等院の本尊に最も近い仏師定朝の様式を受けた定朝様の典型的な作。「定朝の三阿弥陀」と称される。
国重要文化財
本堂(薬師堂) - 明治37年、奈良の斑鳩にあった伝燈寺の本堂を移築したもの。1456年の建築を示す銘文がある。
木造薬師如来立像 - 平安時代後期の作。本堂本尊。胎内には、日野家伝来の最澄自作といわれる薬師像が納入されている。胎内仏ということで、安産子授けの御利益があり、祈願すると乳の出がよくなるといわれ、「乳薬師」として信仰が厚い。
木造十二神将立像 12躯 - 本堂脇士。運慶の作といわれる。
阿弥陀堂内陣壁画 47面 - 天人壁画は創建当時のもので、完全なものとしては日本最古のもの。外壁には、阿弥陀の坐像、四天柱には金剛界曼荼羅の仏像と宝相華が交互に描かれている。
市史跡
阿弥陀堂、弁財天堂や池を含む境内全域。
日野家廟所 - 法界寺の東北にある。中央の五輪塔が親鸞の父親である日野有範の墓。傍らに親鸞の母親の吉光女(きっこうにょ)、伯父の範網、娘の覚信尼の墓がある。

行事

1月14日
日野裸踊り - 京都市登録民族無形文化財。阿弥陀堂前で、沐浴潔斎した男たちが下帯だけで、両手を頭上高く拍ち合わせ、「頂礼頂礼(ちょうらいちょうらい)」と叫びもみあう。

歴史

822年
藤原北家の藤原家宗が、慈覚大師円仁から贈られた最澄作の薬師如来像を本尊とし、最澄を迎え一族の氏寺を創建したとも伝わる。
1051年
文章博士であった日野資業が出家し、この地にあった日野家の山荘を寺院に改めたことに始まる。白檀の薬師如来像の胎内には、日野家に伝わる最澄自作の三寸の薬師像を納入したという。
平安時代
創建時は天台宗だったが、真言宗醍醐派に改宗された。阿弥陀信仰や末法思想が高まり、右大臣 藤原宗忠により阿弥陀堂も建てられた。
1173年
浄土真宗の開祖 親鸞聖人が、日野資業から4代目の日野有範の子として、当寺で生まれた。
1215年
伽藍が全焼した。
1226年
阿弥陀堂などが再建され復興した。
応仁の乱
阿弥陀堂などを残し多くの堂宇が焼失した。
1804~1818年
文化年間、西本願寺が、法界寺境内地は宗祖 親鸞聖人の誕生地と検証した。
1828年
西本願寺が、日野家の旧跡を偲んで、法界寺と交渉して一部を譲り受け、親鸞聖人の父親の日野有範にちなみ「有範堂」と称する堂を創建した。(現在の日野誕生院)

撮影後記

 醍醐寺の南方、日野の里と呼ばれる地にある日野家の菩提寺です。 法界寺とは宗派が異なりますが、浄土真宗の親鸞聖人が出家する9歳まで遊んだ地であります。 すぐ隣には、浄土真宗の聖地である日野誕生院もあります。 また、「方丈記」を著した鴨長明の隠居地でもあるそうです。
 日野家は藤原北家の由緒ある貴族で、室町時代には、足利将軍家との縁戚関係を深くもった家柄で、業子、康子、栄子、宗子、そして有名な日野富子が将軍の正室となっています。 また、日野という地名にも面白いエピソードがありますので簡単に紹介します。 時代は遡って飛鳥時代後期のこと、日野家の初代とされる藤原真夏(ふじわらのまなつ)が、この地を授かりました。 奈良の春日野に似ている事から、地名を春日野と改め萱尾神社を創建し、社殿の前に「春日野」と記した標木を建てました。 ある日、一匹の鹿が現れ「春」の一字の標木だけ食べてしまい、それ以来、「日野」と呼ばれるようになったとのことです。

更新履歴

2012年2月22日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛南から移動しました。

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