長講堂

後白河法皇の長講堂領

平安時代末、後白河法皇が院御所「六条殿」に持仏堂を建立したのが起源。法皇は膨大な荘園を娘の覲子内親王に長講堂ごと寄進し、間もなく長講堂で崩御した。寄進された長講堂領は、後の持明院統の経済基盤となった。

長講堂

長講堂について

基本情報

寺号
法華長講弥陀三昧堂(ほっけちょうこうみださんまいどう)
別称
長講堂
宗派
西山浄土宗
創建
1183年(寿永二年)
開基
後白河法皇
本尊
阿弥陀三尊
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄五条駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区本塩竈町528

概要

法華経を長期間講じ、阿弥陀仏を念じる道場「法華長講弥陀三昧堂」といい、「長講堂」と通称される。 平安時代末、後白河法皇が六条西洞院にあった院御所「六条殿」に持仏堂を建立したのが起源である。 後白河法皇が42か国89か所に及ぶ荘園を娘の覲子内親王に長講堂ごと寄進し、間もなく長講堂で崩御した。 寄進された膨大な長講堂領は、後の持明院統の経済基盤となった。 本堂には後白河法皇の臨終仏と伝わる阿弥陀三尊像、御影堂には白河法皇坐像が奉安され、いずれも国の重要文化財に指定されている。

見所

国重要文化財
木造阿弥陀如来及び両脇侍像 - 後白河法皇の臨終仏と伝わり、仏師 院尊の阿弥陀三尊像。蓮台を持つ観音菩薩像と合掌する勢至菩薩像の両脇侍は、蓮台から片足を踏み下げている。
木造後白河法皇坐像 - 江戸時代初期の作。4月13日の法皇忌法要のときに公開される。
観光名所
本堂 - 阿弥陀三尊像(重文)が安置されている。
御影堂 - 後白河法皇像(重文)が安置されている。

行事

4月13日
法皇忌法要 - 御影堂安置の後白河法皇像が公開される。

歴史

1183年
後白河法皇が六条西洞院にあった「六条殿」に持仏堂を建立した。
1188年
六条殿が火災で焼失するが、院御所「六条西洞院殿」として再興され、持仏堂も「六条長講堂」として再建された。
1192年
後白河法皇が膨大な荘園を娘の覲子内親王に長講堂ごと寄進し、長講堂で崩御した。
鎌倉~南北朝期
寄進された長講堂領は、持明院統の経済基盤となった。
中世
度重なる火災で寺地を転々とした。
1578年
豊臣秀吉の京都改造で、現在地に移転させられた。
幕末
禁門の変で焼失した。

撮影後記

 「長講堂領」という言葉や大雑把な意味は知っていましたが、こうやって実際に見れば、イメージともリンクするのが歴史的建造物を尋ねる醍醐味のひとつです。 2012年に大河ドラマ「平清盛」の関係で、京の冬の旅で特別拝観されていたのですが、行きそびれてしまいました。 次回に機会があれば、境内の拝観もしてみたいところです。

更新履歴

2015年1月12日
初版をアップロードしました。

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