京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
臨済宗東福寺派大本山東福寺の塔頭である。 昭和10年に京都市電と九条通の拡張により境内が分断されたため、九条通を挟んで東福寺の飛地のような位置に寺基がある。 永長2年(1097年)白河上皇が息女の菩提を弔うために万寿寺通高倉に六条御堂を建てたのが起源。 正嘉年間(1257年~1259年)東山湛照が東福寺の円爾に帰依して臨済宗寺院となり、六条御堂を「萬寿禅寺」と改めた。 焼失後、旧地の下京区万寿寺町付近に移転した。 寺は興隆して天下十刹の第四位に列格し、室町時代には京都五山の第五位に昇格している。 天正年間(1573年~1592年)豊臣秀吉の都市改造で、東福寺北側の現在地に移転した。
現在は寺と仁王門の間に九条通が横断して住宅も建ち並んでいますが、かつては万寿寺の境内でした。 江戸時代の「再撰花洛名勝図絵」には、仁王門、二天門(失われている)、法堂(失われている)、方丈が一直線上に描かれていて、他の京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺)のような禅宗伽藍でした。 万寿寺北東には三聖寺も描かれています。 また、現在東福寺の本堂に安置される本尊釈迦三尊像は、もと三聖寺に安置されていたもので、明治14年に東福寺の仏殿が焼失した際に遷されました。
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