京北

京の木材産地

平安遷都に伴う木材を供給する御杣料地として定められ、以来、北山杉の産地として林業が盛んである。戦前まで木材を筏に組み上桂川を下し京に運ばれていた。光厳上皇の常照皇寺や明智光秀の周山城跡などが知られる。

京北

京北について

基本情報

名称
京北(けいほく)
所在地
京都府京都市右京区京北町
サイト
京北商工会 きょうと京北ふるさと公社

概要

日本海と太平洋の分水嶺に位置する右京区北部の丹波高原にあり、夏涼しく冬寒い内陸型の気候で降水量も多い。 北桑田郡南部にあった周山村、山国村、黒田村、弓削村、細野村、宇津村の五ヶ村が合併して成立し、平成17年に京都市に編入された。 総面積の9割以上を森林が占め、北山杉の磨丸太などの産地として古来より林業が盛んな地域である。 既に奈良時代、平安遷都に伴う大内裏造営の木材を供給する御杣料地(ごそまりょうち)として定められたという。 以来、禁裏御料地として林業が盛んになり、上桂川が地域の中央を流れているため、木材の切出し地となり、筏に組み京に運ばれた。 この筏流しによる水運は、自動車輸送にとって代わる戦後まで続いた。 南北朝時代に光厳上皇が常照皇寺を創建し、戦国時代に明智光秀が周山城を築き、戊辰戦争では山国の郷士が山国隊を結成したことでも知られる。

見所

国重要文化財
木造阿弥陀如来及び両脇侍像(山国 常照皇寺) - 寺の創建より古い平安時代後期の作。光厳上皇の持仏であったともいわれる。
国天然記念物
常照寺の九重ザクラ(山国 常照皇寺) - 樹齢600年以上の京都最古の名桜。
国登録文化財
柴田家住宅 主屋・風呂・露地門・土蔵(山国) - 大正元年の建築。
府史跡
常照皇寺(山国) - 臨済宗天竜寺派に属する皇室ゆかりの禅刹。光厳上皇によって1362年に開かれた。国指定天然記念物である「九重桜」、御所から株分けした「左近の桜」、一重と八重が一枝に咲く「御車返しの桜」が春に咲く。
周山廃寺跡(周山) - 白鳳時代から平安後期までの遺物が多数出土し、白鳳期に創建されたものと考えられる。南大門、東堂、三重塔、中堂、西堂、北堂の伽藍跡が確認され、現在は東堂の礎石だけが保存されている。
府文化財
八幡宮社 本殿・境内社待童社本殿(弓削) - 本社本殿は1641年の建立。待童社本殿は1647年の建立。
光厳天皇宸翰法華経要文和歌懐紙(山国 常照皇寺) - 南北朝期のもの。
府天然記念物
下黒田の伏条台杉群(黒田) - 幹周15.2mに及ぶ「平安杉」を筆頭とするダイスギ(アシウスギ)の巨木群。根際近くから枝が何本も分岐し、それぞれの枝が支幹と入れ替わるので樹勢が衰えない。
市史跡
上中城址(弓削) - 天仁年間(1108年~1110年)、北面の武士によって築かれたと伝わる。平地に築かれる城の形として非常に珍しい楕円形である。
市文化財
木造明智光秀坐像(周山 慈眼寺) - 光秀が建立したという密厳寺にあったが、明治27年に当寺に移された。織田信長の命で丹波攻略に訪れた光秀は、悪政を施していた宇津氏から民を開放し、光秀の徳を慕う村民が密かに祀ったと伝わる。逆臣の汚名を着せられていたため、木像は墨で塗りつぶされ明智家の桔梗紋が隠され、金具も外された。
絹本著色十六善神像(周山 宝泉寺) - 室町中期の作。馬を連れる玄奘に中央に釈迦三尊を描いている。
木造阿弥陀如来坐像(周山 宝泉寺) - 平安後期の作。天稚神社境内の阿弥陀堂に伝わったが、明治の神仏分離で当寺に遷された。
鰐口(周山 東光寺) - 文明八年(1476年)の銘。
吊燈籠(周山 天稚神社) - 天正19年(1591年)の銘。六角形の銅製の吊燈篭。
絹本著色青頭白衣観音像(山国 山国神社) - 中幅は正座の白衣観音、左右幅は蓮弁の船に乗る観音を描いている。
絹本著色不動明王像(山国 三明院) - 南北朝時代の作。 夢窓疎石の弟子である竜湫周沢の筆。
小塩区有文書(山国) - 1587年の太閤検地から明治22年の町村制施行までの小塩村記865通。
木造千手観世音菩薩立像(山国) - 平安後期の作。崇禅寺あるいは先光寺伝来の像とされる。
絹本著色釈迦十六善神像(黒田 春日神社) - 室町初期の作。大般若経とともに1481年に購入され、吉野宮に奉納されたもの。
木造千手観音立像(黒田 観音堂) - 平安時代後期の作。
懸仏(弓削 八幡宮社) - 室町時代初期の作。円形銅板の中央に阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音像を貼付けたものと、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来のものがある。
鰐口(弓削 八幡宮社) - 室町時代の作。意匠の異なるものが3口存在する。
木造薬師如来坐像(弓削 福徳寺) - 定朝様の藤原後期の作。
木造如来形坐像 2躰(弓削 福徳寺) - 平安時代の作。寺伝では阿弥陀如来像と薬師如来像。
木造地蔵菩薩立像(弓削 福徳寺) - 平安時代の作。木造如来形立像の作風。
木造如来形立像(弓削 福徳寺) - 平安時代の作。作風から木造地蔵菩薩立像と同じ作者によって製作されたと考えられる。
木造阿弥陀如来・薬師如来・十一面観音坐像(弓削 中道寺) - 鎌倉時代中期の作。3躯は1具として製作されたもの。八幡宮に伝えられ、廃仏毀釈で当寺に遷された。
大般若経(弓削 普門院) - 朝日山にあった朝日寺の僧が読経した旨が記されている。
木造地蔵菩薩立像(弓削 普門院) - 平安時代中期の作。
九頭神社本殿(細野) - 1778年の造営。保守的な様式が多い京北地域には珍しく、複雑で派手な意匠である。
梵鐘(細野 薬師寺) - 梵鐘の作者 沙弥圓道の銘のある鰐口が亀岡市の金輪寺にあり、それには永徳二年(1382年)の銘がある。
木造釈迦如来立像(細野 薬師寺) - 南北朝時代の作。当地域唯一の清凉寺式釈迦像の模刻像。
絹本著色十六善神像(宇津 八幡宮社) - 南北朝時代の作。大般若経転続に際し奉懸される釈迦十六善神の画像。
版本大般若経(宇津 八幡宮社) - 室町時代の版本を主体とし、欠失分は江戸時代の版本で補っている。
絹本著色釈迦十六善神像(宇津 八幡宮) - 室町後期の作。八幡宮の神宮寺であった朝日寺に伝来したものと考えられる。
丹波国吉富庄絵図(宇津) - 後白河法皇御領法華堂領吉富庄絵図。中世から江戸初期まで数度に渡り模写を繰り返したもの。
市天然記念物
正法寺のカヤ(周山) - 幹周4.3m、樹高21mのカヤノキ。創建された1494年当時のものといわれ、推定樹齢は500年。
日吉神社のケヤキ(周山) - 幹周4.3m、樹高21mの大欅。創建当時のものといわれ、推定樹齢は800年。
慈眼寺のイチョウ(周山) - 幹周3.8m、樹高30mの公孫樹の巨樹。雌木で銀杏が多く採取される。
福徳寺のサクラ(弓削) - 樹齢400年、幹周2.72m、樹高10mで、「かすみ桜」の愛称で親しまれている。1614年に当寺に移植されたと伝わる。
白山神社のカシ(弓削) - 幹周7.9m、樹高18mのツクバネガシ。根元が空洞になっており、そこに白山神社の神使である片目のヘビが住んでいたと伝わる。
八幡宮のスギ(弓削) - 幹周5.8m、樹高32mの御神木の大杉。参道が走る京北第三小学校にあるため、学校のシンボルとなっている。
片波西谷のトチ(黒田) - 幹周0.78m、樹高15mのトチノキ。片波西谷林道の終点に立っている。
観光名所
上桂川 - シーズンにはアマゴ釣りや鮎の友釣りが楽しめる。支流に弓削川、細野川、小塩川などがある。
周山城址(周山) - 1579年、明智光秀が築いた山城跡といわれる。「周山」という地名は、光秀が中国の周の武王が善政を布いたという故事から名付けられたといわれる。
ウッディー京北(周山) - 木材のまち京北の展示館を備えた道の駅。
魚ケ渕のつり橋(周山) - 上桂川に架かる吊り橋に枝垂れ桜と茅葺きの廃屋が原風景をとどめる。大型鮎のポイントとして釣り人に人気がある。
京北森林公園(山国) - 森林浴歩道、野外炉、北山杉丸太のアスレチックなどが整備され、バーベキューが楽しる。 また、キノコ狩りやシイタケの原木栽培も体験できる。
ウイングヒル京北(山国) - 京都市内、琵琶湖を眺めながらフライトを楽しめるパラグライダー施設。初心者からベテランパイロットのトレーニングまで。
雲取山(黒田) - 丹波山地東南に位置する標高911mの高山。山裾の芹生には天然林が広がり、「京都の自然200選」に指定されている。
黒田百年桜(黒田) - 一重、八重、旗弁のあるものが混じるヤマザクラの変種。春日神社にあった古桜が、明治6年の台風で倒れ、これを惜しんだ黒田宮村民が植樹したもの。樹齢約100年であることから、昭和52年に京都の桜守15代目の佐野藤右衛門によって「百年桜」と命名された。
芹生の里(黒田) - 灰屋川上流にあり、人形浄瑠璃や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」の寺子屋で知られる。菅原道真の遺児慶能を教育した武部源蔵の屋敷跡がある。
八丁・片波源流域(弓削・黒田) - 原生林に近く、天然のシャクナゲ群生や樹齢千年を越える伏条台杉の群生が見られる。
宇津峡公園(宇津) - 上桂川の最下流にあたる宇津峡にある宿泊用コテージや人工渓流がある多目的キャンプ施設。
滝又滝(細野) - 織田信長にまつわる伝説のある高さ25mの滝。春はつつじ、夏は蝉しぐれ、秋は紅葉、冬は氷柱と四季折々の風情を見せる。
栗尾峠(細野) - 周山街道(国道162号)にある峠で、周山地区を一望できる。

行事

1月15日
とんど
4月下旬
愛宕参り
8月中旬
小塩の上げ松(山国) - 柱松行事のひとつで、火伏せと五穀豊穣を祈る愛宕神事。焚松を高さ15mの灯炉木の「もじ」めがけて投げ、「もじ」が着火し巨大な松明となる。府の無形民俗文化財に登録されている。
8月お盆
浄瑠璃くずし丹波音頭とその踊り - 丹波地方の伝統的盆踊り。近松門左衛門の浄瑠璃をくずした音頭に、踊りの振り付けをしたもの。
10月上旬
山国隊軍楽(山国) - 山国神社の「還幸祭」で行われる維新勤王山国隊の行進。戊辰戦争の時、山国の郷士83名が官軍募兵布告に応じて参戦し、錦の御旗を護衛して凱旋した故事にちなむ。府の無形民俗文化財に登録されている。
10月15日
矢代田楽(周山) - 日吉神社の秋祭りに奉納される田楽踊りで、室町時代初期から続いている伝統芸能。府の無形民俗文化財に指定されている。
11月2日~3日
京北ふるさとまつり(周山)

歴史

奈良時代
丹波国に属していた。
770年~780年
宝亀年間、山国庄が平安遷都に伴う大内裏造営の木材を供給する御杣料地として定められ、山国神社が創建された。
1362年
光厳上皇が山国郷に常照皇寺を創建し、2年後崩御され葬られた。
戦国時代
土豪の宇津氏が割拠していたが、明智光秀の攻撃を受けて滅んだ。
1579年
明智光秀が周山城を築くための木材を調達するため、当地の社寺を取り壊した。
江戸時代
園部藩と篠山藩が支配し、山国郷は禁裏御料となった。
明治維新
戊辰戦争で山国郷の士が山国神社から出発し、後に「山国隊」を結成。
明治22年
町村制施行により各村々が合併し、北桑田郡南部に周山村、山国村、黒田村、弓削村、細野村、宇津村の五ヶ村が発足。
昭和18年
北桑田郡周山村が周山町となった。
昭和30年
北桑田郡南部の周山町、山国村、黒田村、弓削村、細野村、宇津村が合併して北桑田郡周山町となった。
昭和32年
黒田地区の大字広河原が、京都市左京区に編入された。
平成17年
京都市に編入し、京都市右京区京北町となった。

撮影後記

 令制国制度以来、長らく丹波国に属していた京北地域。 2005年に有権者の8割を越える署名が集まり、長年の念願だった京都市(山城国)へ編入されました。 上桂川上流の隣接している花背地域とも地勢歴史上類似性のある地域であります。 両者とも同じ京都市の北に位置していますが、京北は周山街道の経由地として同じ北桑田郡に属していた美山との繋がりも深く、花脊は山城国愛宕郡由来の左京区(江戸時代初期までは丹波国桑田郡)に属していた経緯で、京北は「口丹波」カテゴリの方に掲載しています。

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更新履歴

2013年2月21日
初版をアップロードしました。

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