清浄華院

浄土宗大本山

清和天皇の勅願により円仁を迎え禁裏内道場として創建した。当初、四宗兼学であったが、法然が持住としてから浄土宗寺院に改めた。室町時代には浄土宗の筆頭寺院となり栄え、現在も浄土宗七大本山の一つである。

清浄華院

清浄華院について

基本情報

院号
清浄華院(しょうじょうけいん)
宗派
浄土宗
寺格
大本山
創建
860年(貞観2年)
開山
円仁 - 慈覚大師。
開基
清和天皇
中興開山
法然
本尊
法然上人
札所
法然上人二十五霊跡23番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
府立医大病院前バス停下車徒歩5分
住所
京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395
サイト
清浄華院

概要

860年、清和天皇の勅願により慈覚大師円仁を迎え禁裏内道場として創建した。 清浄華院とは、「浄土に咲く蓮の華のように清らかな修行ができる場所」という意味である。 当初、円・密・戒・浄の四宗兼学であったが、平安時代末期、後白河法皇、高倉天皇、後鳥羽上皇に帰依を得た法然上人が持住としてから浄土宗寺院に改めた。 室町時代には皇室や公家・幕府の帰依を得て浄土宗の筆頭寺院となり栄え、現在も浄土宗七大本山の一つである。 不動堂の不動明王画像は、「身代り不動」と呼ばれ、寺宝の泣不動縁起絵巻に身代り不動の故事が記されている。 墓地には、山科言継、立入宗継、姉小路公知、玉松操らの陵墓がある。

見所

国重要文化財
紙本著色泣不動縁起絵巻 - 室町時代初期、宅間法眼の筆。身代り不動の故事が記されている。(京都国立博物館寄託)
絹本著色阿弥陀三尊像 3幅 - 唐普悦の筆。(京都国立博物館寄託)
観光名所
大殿(御影堂)- 清浄華院の本堂。本尊の法然上人像が安置されている。
大方丈 - 阿弥陀三尊像を本尊として安置。
小方丈 - 座敷からは浄土の庭を臨む。中庭には茶室「清華亭」がある。
御廟 - 法然上人の霊廟。
不動堂 - 「身代り不動」と呼ばれる不動明王画像が安置。
阿弥陀堂 - 塔頭 松林院の本堂を改築。
地蔵堂 - 平成23年に総門南脇殿を改築して再建。
納骨堂 - 昭和9年に建立。
総門 - 高麗門形式。
勅使門 - 昭和9年の再建。
東門 - 1676年建立とされる清浄華院最古の建物。
鐘楼 - 梵鐘は1610年鋳造。
山王権現社 - 清浄華院の鎮守である山王権現を祀る。
墓地 - 山科言継、立入宗継、姉小路公知、玉松操らの陵墓がある。また、後陽成天皇、後水尾天皇、孝明天皇等の皇子・皇女の御陵墓、各宮家の墓がある(宮内庁所管)
五輪塔 - 天明の大火の犠牲者を供養。
浄山学寮 - 佛教大学の別科と通信学部生用の修行道場。
つきかげ苑 - 介護老人福祉施設。

歴史

860年
清和天皇の勅願により慈覚大師円仁を迎え禁裏内道場として土御門内裏付近に創建した。当初、円・密・戒・浄の四宗兼学であった。
平安時代末
後白河法皇、高倉天皇、後鳥羽上皇に帰依を得た法然上人が持住としてから浄土宗寺院に改めた。
応仁の乱
伽藍を焼失。
1585年
豊臣秀吉の都市改造政策により、現在の地に移転した。
明治22年
失火で大部分の建造物を焼失。
明治44年
現在の諸堂が再建された。

撮影後記

 御苑の東、廬山寺の北隣にあるお寺です。 境内はさほど広くはありませんが、浄土宗の大本山のひとつで、寺格は高い寺院です。 明治期に失火で伽藍のほとんどを焼いて、現在の建物はその後再建されたものがほとんどです。 境内には、佛教大学別科があり、学生さんたちが修行にいそしみ、介護老人福祉施設も境内にあり、「福祉の本山」とも呼ばれているそうです。

更新履歴

2012年2月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

清浄華院紀行のコメント

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毎回楽しみにしています。
京都.......行きたい...

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