京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
東山の今熊野山麓、泉涌寺の北隣にある塔頭寺院です。
郭公(かっこう)の名所らしく、森閑とした場所にあります。
特筆すべきは、秋の紅葉です。
ここの楓は真っ赤っかに染まり、それは見事です。
「枕草子」の清少納言は、父の清原元輔の邸宅が現在の境内地付近にあり、ここで生まれ育ったそうです。
「をかし」の文学と呼ばれ、四季の自然を観察した段も多いのも、宮中ではなく、この自然豊かな場所で育ったことが大きいのでしょうね。
山号を新那智山とする真言宗泉涌寺派の寺院。 泉涌寺の塔頭のひとつである。 寺号は観音寺だが、今熊野にあるため今熊野観音寺と通称される。 創建は空海、本尊は秘仏の十一面観世音菩薩。 西国三十三箇所第十五番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場の第一番札所、京都七福神えびす神奉祀 である。 807年、弘法大師空海が熊野権現のご霊示を受けてこの地に庵を結んだのがはじまりと伝わる。 812年、空海は嵯峨天皇から官財を賜わり、勅旨により諸堂を造営した。 天長年間(824年~834年)、諸堂の造営が完成した。 斉衡年間(854年~857年)、左大臣の藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)の発願によって伽藍の拡大が図られた。 1169年、後白河上皇が出家され、「新那智山」と号され、「今熊野観音寺」と称された。 また、後白河上皇は御持病の頭痛を観音さまの夢告により平癒したといわれ、中風・頭痛平癒の観音とされた。 1234年、後堀河上皇が23歳で崩御され、新那智山に観音寺陵が築かれた。 永暦年間(1331年~1334年)、新熊野神社が建てられるとその本地仏を祀る寺とされた。 南北朝時代の兵火や応仁の乱で伽藍が焼失したが、その都度復興した。 1712年、宗恕祖元によって現在の本堂が建立された。
住所: 京都府 京都市東山区泉涌寺山内町32
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