京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
PHOTOGRAPH.PRO
スマホでも閲覧できるようになりました
京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
「六道さん」で親しまれている臨済宗建仁寺派の古刹。 この地は古くより鳥辺野の葬送地入り口であり、現世と冥界の接点にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。 創建は諸説あり、鳥部氏の氏寺だった宝皇寺が由来とする説、空海の師 慶俊(けいしゅん)が宝皇寺(愛宕寺)を創建した説、小野篁(おののたかむら)が創建した説。この地の豪族であった山代淡海(やましろのおうみ)により創建されたとする説などがある。 「今昔物語」にもでてくる当寺の梵鐘の迎え鐘によって、あの世から亡者を蘇らせることができると信じられてきた。 京の盆の始まり「六道詣り」では、祖先の霊を迎えるために迎え鐘を撞き、大勢の参詣者で賑わう。 本堂裏の井戸は、小野篁がこの井戸を通じて冥界へ通い、閻魔王宮で裁判を手伝ったといわれる伝説があり、閻魔堂には、閻魔大王像とともに小野篁像が合祀されている。
「今昔物語集」で小野篁は、亡き母に会うために冥土通いを始めたといわれます。
本堂裏庭にある冥土通いの井戸には、現在その傍に高野槙が生えています。
篁は高野槙を伝って井戸へ入り、冥界の閻魔王宮に通いました。
そして、西の葬送地にあたる化野にある嵯峨野六道町にあったという福生寺(現在の嵯峨薬師寺)の井戸から現世に戻ってきます。
珍皇寺の井戸を「死の六道」、福生寺の井戸を「生の六道」と称したそうです。
ちなみに、北の葬送地にあたる蓮台野にある千本ゑんま堂(引接寺)にも六道まいり迎え鐘の精霊迎え行事があり、千本六斎念仏が行われます。
フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。