京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
豊臣秀吉により創建された天台宗寺院。 鐘楼に吊るされた梵鐘は、「国家安康の梵鐘」として名高い。 1586年、豊臣秀吉が、奈良東大寺の廬舎那仏以上の大仏建立を計画したのが起源。 しかし、金銅大仏が地震で破壊され、秀吉は大仏開眼供養を待たずに伏見城で死去。 秀吉の死後、徳川氏が秀頼と淀殿に勧めて再興させたが、「国家安康」「君臣豊楽」の梵鐘銘文が、家と康を分断し、豊臣家を君主とするものと徳川家康に曲解され、豊臣家滅亡のきっかけとなった(方広寺鐘銘事件)。 その後、木造大仏が再建され、1798年に落雷で焼失するまで「京の大仏つぁん」として親しまれた。 平成12年、大仏殿跡の発掘調査が行われ、大仏殿の正確な位置と東大寺大仏殿を凌ぐ規模だったことが判明した。
「京の大仏つぁんは天火で焼けてな、三十三間堂が焼け残った、あらどんどんどん、こらどんどんどん」というわらべ歌もあるそうでが、歴史年表を記載していて、いったい何回法難に遭ったんだという感じです。
秀吉の死後、大仏殿建立は、徳川家康が豊臣方の財力を失わせるために勧めたともいわれ、家康の強かさが感じられます。
鐘銘事件も、ストーリーが出来上がっていたのかもしれません。
秀吉は、豊国廟、方広寺、西本願寺が一直線になるよう計画したそうですが、後に新日吉神社や東本願寺や渉成園が建てられ、家康がことごとく分断しています。
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