上徳寺

世継地蔵

徳川家康が阿茶の局を開基とし創建した浄土宗寺院。光源氏のモデルとされる源融の六条河原院があった場所ともいわれる。また、地蔵堂に安置される「世継地蔵」には、子宝・安産の御利益があるとされ信仰が篤い。

上徳寺

上徳寺について

基本情報

山号寺号
塩竈山上徳寺(えんそうざんじょうとくじ)
別称
世継地蔵(よつぎじぞう)
宗派
浄土宗
創建
1603年(慶長8年)
開山
伝誉蘇生(でんよそせい)
開基
阿茶局
本尊
阿弥陀如来
札所
通称寺の会
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪清水五条駅徒歩5分、河原町五条バス停徒歩2分
住所
京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556

概要

下京にある浄土宗寺院。 寺伝によれば、徳川家康が側室 泰栄院の菩提を弔うために、その生母 上徳院(阿茶の局)を開基とし創建したといわれる。 以後、度重なる災火により焼失し、現在の本堂は明治時代に永観堂から移築されたものである。 平安時代、この地は光源氏のモデルともいわれる源融の六条河原院があったといわれる。 源融は、河原院で塩竃を炊き塩焼を愉しんだと伝わる。 境内の地蔵堂には、「世継地蔵」を安置し、往古から良い世継が授かる子宝・安産の御利益があるとして遠近の人々の信仰を集めている。  

見所

観光名所
本堂 - 1753年の再建。明治時代に永観堂の祖師堂から移築。快慶の作といわれる本尊 阿弥陀如来像を安置。
地蔵堂 - 明治4年の再建。世継地蔵が安置されている。
世継地蔵 - 江戸時代初期の世継ぎの子を授かった故事に由来し、「世継地蔵」と称されるようになった。中山慶子内親王は、これを篤く信仰し、明治天皇を出産したともいわれる。
勅使門
身代り地蔵堂
はがため地蔵堂 - 「歯固め」として歯を守り寿命が延びるという。
延命地蔵菩薩
水子地蔵尊
よだれかけ絵馬
阿茶の局の石碑
泰栄院の墓 - 墓地に宝筐院塔がある。
堀内雲鼓(ほりうちうんこ)の句碑と墓 - 江戸時代の冠句の唱導者。
生姜畠 - 墓地にある窪地は、河原院の池跡といわれる。

行事

2月8日
世継地蔵尊大祭 - この日の参拝すると安産や子孫繁栄などに特にご利益があるといわれる。

歴史

平安時代
源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が、この地に六条河原院を創建し、塩竃を炊き塩焼を愉しんだといわれ、境内には「塩竈明神」があったとされる。源融の死後、六条院は宇多上皇の御所となり、後に寺院となり「河原院」と称せられた。
応仁の乱
兵火で廃絶した。
1603年
徳川家康が、側室 泰栄院の菩提を弔うために、その生母 上徳院(阿茶の局)を開基とし、伝誉蘇生を招き創建したといわれる。
1788年
天明の大火で焼失。
明治時代
本堂が永観堂の祖師堂から移築された。

撮影後記

 五条大橋の西側、国1の大通りから少し南に入った場所にある小さなお寺さんです。 この辺りは本塩竃町とも呼ばれ、源氏物語でお馴染みの源融が、塩焼の風流を愉しんだことが由来です。 山号も「塩竈山」と号されています。
 毎年2月8日には世継地蔵の大祭が催されるそうで、勝手なもんで、この日にお参りすると一億劫日功徳日に当たるといわれます。 山伏による柴灯護摩供などが行われ、多幸焼と粕汁の無料接待もあるそうです。

更新履歴

2012年6月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

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