大通院

山内一豊夫婦の廟所

1586年創建の臨済宗妙心寺の塔頭で、一柳直末が南化玄興を請じて創建した。第2世は山内一豊の養子である湘南宗化。境内に建つ見性閣は、湘南禅師が一豊夫人 見性院(千代)を弔うため建立し、夫婦の霊屋となっている。

大通院

大通院について

基本情報

寺号
大通院(だいつういん)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1586年(天正14年)
開山
南化玄興 - 妙心寺58世。
開基
一柳直末 - 豊臣氏家臣。
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
妙心寺北門前バス停徒歩3分、京福妙心寺駅徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町50

概要

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院である。 1586年(天正14年)、豊臣氏家臣 一柳直末が、妙心寺58世 南化玄興を請じて創建した。 その後、山内一豊の養子である湘南宗化が第2世として入寺し、山内家の菩提寺とした。 境内にある見性閣は、湘南禅師が一豊夫人 見性院(千代)の17回忌にあたり建立した霊屋と比定され、一豊夫婦の無縫塔と位牌が奉安されている。 湘南禅師の弟子に、垂加神道の創始者として知られる山崎闇斎がいる。

見所

観光名所
見性閣 - 1633年、2世 湘南宗化が山内一豊夫人 見性院(千代)の17回忌にあたり建立した宝形造の霊屋。一豊夫婦の無縫塔と位牌が奉安されている。
庭園 - 湘南宗化が各地の奇岩を集めて作庭した名庭であったが、明治の廃仏毀釈で平安神宮の造営の為に奇岩が上知された。

歴史

1586年
一柳直末が妙心寺58世 南化玄興を請じて創建した。
1633年
2世 湘南宗化は山内一豊夫人見性院の17回忌にあたり、見性閣を建立した。
明治維新
廃仏毀釈で取畳みになり堂宇が破却され、本尊は智勝院に一時安置された。
明治34年
高巌院を合併し再建された。

撮影後記

 何年か前のNHK大河ドラマ「功名が辻」が放映されていた年に、特別公開されたようですが、普段は非公開塔頭です。 そんな一豊と千代の廟所となっている大通院。 千代こと見性院は、夫の一豊が1605年に死去すると、土佐を引き払い養子の湘南宗化のいる妙心寺近くに移住して、晩年を京都で過ごしたといいます。
 航空写真を見ていて、ちょっと気になった点がひとつ。 庫裡の屋根に太陽光発電のソーラーパネルのようなものが見えます。 これが普及すると、甍が連なる山内風景が消え去ってしまうのだろうか。

更新履歴

2015年2月12日
初版をアップロードしました。

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