法金剛院

蓮の寺

鳥羽天皇の中宮である待賢門院が開いた律宗寺院。平安時代初頭、清原夏野が双ヶ丘の地に山荘を結んだのが起源である。四季折々の花が咲く花の寺で、なかでも「蓮の寺」として知られ、開花中は観蓮会が行われる。

法金剛院

法金剛院について

撮影後記

 花園駅の北側、双ヶ丘の東麓に位置しています。 南都の律宗に属していて、京都では珍しい宗派で、他には壬生寺くらいしかないのではないでしょうか。
 法金剛院といえば、やはり季節の花でしょう。 「関西花の寺第十三番」で、四季おりおりの花が咲き、花園にある花浄土のような場所です。 花好きにとっては、何度訪れても足りないくらいです。 これは平安時代からの伝統のようで、当時から珍花奇花を植えていたことから、嵯峨天皇、淳和天皇、仁明天皇の行幸も仰いだそうです。 さらに、寺宝も豊富で、花より仏像好きという方も、たのしめるかと思います。
 池泉回遊式の浄土庭園は、発願者、作者が判明している数少ない平安時代の庭園ということで、国の特別名勝に指定されています。 庭園の一角には、日本最古の人工滝とされている「青女の滝」があります。 普段は水が流れ落ちていないようで、桜の時期の日曜日に拝観した一度だけ、流れ落ちれいる滝を見ることができました。 庭師の方が滝付近にあるスイッチを入れると流れ落ちたので、現在は水源が枯れてしまっているようでした。

概要・歴史

山号を五位山とする律宗寺院。 本尊は阿弥陀如来、開基は待賢門院とされる。 境内に現存する浄土式庭園にある「青女の瀧」は日本最古の人工滝とされ、国の特別名勝に指定されている。 境内には四季折々の花が咲くが、なかでも「蓮の寺」として知られ、開花中は「観蓮会」が行われる。 830年、右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)が山荘を営み、没後に「双丘寺(ならびがおかでら)」と号したのが起源。 858年、文徳天皇の発願で大伽藍を建立し「天安寺」と称し定額寺に列した。 その後、微衰。 1130年、鳥羽天皇の中宮で崇徳天皇・後白河天皇の母親でもある待賢門院(たいけんもんいん)が、天安寺を再興し、「法金剛院」と改号した。 1279年、唐招提寺から融通念仏の円覚が入寺し再興し律宗に改宗した。 応仁の乱の兵火や震災で堂宇を焼失した。 1617年、照珍が礼堂(本堂)、経蔵などを復興。 昭和43年からの発掘調査に基づき庭園が復元整備された。 現存する阿弥陀如来像は像高2.2メートルを超え、平等院、法界寺とともに、「定朝の三阿弥陀」と称される。

住所: 京都府 京都市右京区花園扇野町49

更新履歴

2011年9月1日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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