哲学の道

西田幾多郎

疏水分線に沿って若王子神社前の若王子橋から銀閣寺橋に至る1.8kmの散策路で、「日本の道100選」に選ばれている。京都学派の哲学者 西田幾多郎や田辺元が好んで散策したため、地元住民に「哲学の道」と命名された。

哲学の道

哲学の道について

基本情報

名称
哲学の道(てつがくのみち)
別称
哲学の径、文人の道、哲学の小径、思索の道、疏水の小径
指定
日本の道100選
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
南端: 永観堂前バス停徒歩5分、北端: 銀閣寺前バス停徒歩1分
所在地
京都府京都市左京区 若王子町・南禅寺・鹿ケ谷・浄土寺
サイト
哲学の道保勝会

概要

琵琶湖疏水の疏水分線に沿って、熊野若王子(にゃくおうじ)神社前の若王子(にゃこうじ)橋から銀閣寺の参道に架かる銀閣寺橋に至る全長約1.8kmの散策路。 「日本の道100選」に選ばれている散歩道である。 明治時代、文人墨客が大文字山の山麓に居を構え「文人の道」と称されていた。 その後、京都学派の哲学者 西田幾多郎や田邊元が好んで散策したため「哲学の小径」と云われたり、「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。 暗渠化して道路を通す計画もあったが、昭和47年に地元住民が保存運動を進めるに際して、「哲学の道」と決定した。 春になると、近くに居を構えた橋本関雪の妻 よねが寄贈したことに始まる桜並木「関雪桜」の桜のトンネルとなり、花見客で賑わう。

見所

宮内庁治定
冷泉天皇櫻本陵 - 冷泉天皇の陵墓。桜本寺前野で火葬され、その山傍に遺骨を埋葬された。桜本寺の遺址から明治時代に治定された。
市天然記念物
「哲学の道」のゲンジボタル及びその生息地 - 毎年5月下旬から6月にかけて、ゲンジボタルが数多く見られる。自然環境の指標ともなっている蛍が、市街地に接する場所に生息していることは貴重で、天然記念物に登録されている。
観光名所
疏水分線 - 蹴上から分岐する枝線水路として大文字山の山麓に沿って北流し、吉田山の東北を経て高野川を渡り、下鴨そして堀川へと通じていた。琵琶湖第1疏水と同時期の明治20年に着工し明治23年に竣工した。
西田幾多郎の歌碑 - 「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」と刻まれている。
関雪桜 - 近くに居を構えた橋本関雪の妻 よねが、大正11年に京都市に苗木を寄贈したのに始まる桜並木。佐野藤右衛門らの手により植え替えられ代替わりしている。
弥勒院 - 聖護院を本山とする本山修験宗に属する。天和年間(1681年~1684年)、聖護院の西(現京大病院)に創建され「長泉寺」と号した。明治29年に明石の弥勒院と合併し、昭和2年に現在地に移転した。「幸せ地蔵尊」と呼ばれる子安地蔵が安置されている。

歴史

明治20年
疏水分線の開削に着工した。
明治23年
疏水分線が竣工した。
昭和38年
疏水堤が整備されて現在の哲学の道の下に導水管が通され、疏水を流れる水量が減った。
昭和47年
地元住民が保存運動を進めるに際して、「哲学の道」と決定した。

撮影後記

 東山でも産寧坂地区のねねの道と共に、人気の観光コースです。 産寧坂地区は歴史的建築物が織りなす道といえますが、こちらは草花や昆虫、鳥など自然と一体となった散策路。 ギャラリーに掲載した蛍やカルガモをはじめ、オオムラサキやアサギマダラなどのチョウも見られるそうです。
 哲学の道の由来となっている西田幾多郎博士は、晩年を鎌倉で療養し、終戦間際の昭和20年6月7日に鎌倉で死去しました。 私の鎌倉の自宅近くにも、博士の遺邸(学習院大学寸心荘)へと続く「鎌倉の哲学の道?」なる道路があります。

更新履歴

2015年3月13日
初版をアップロードしました。

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