八坂神社

祇園祭

全国の祇園社の総本社で「祇園さん」の愛称で呼ばれる。古くから疫病除けの神として信仰篤く、京都の夏の風物詩「祇園祭」でよく知られる。かつては祇園社と呼ばれ、廃仏毀釈により八坂神社と改められた。

八坂神社

八坂神社について

基本情報

社名
八坂神社(やさかじんじゃ)
別称
祇園さん、祇園社
創建
伝656年(斉明天皇二年)
主祭神
素戔嗚尊(スサノオ)、櫛稲田姫命、八柱御子神
社格
二十二社、官幣大社、別表神社
例祭
6月15日
駐車場
駐車場なし - 地下に市営円山公園円山駐車場あり。
交通機関
京阪祇園四条駅徒歩5分、市営バス祇園バス停すぐ
住所
京都府京都市東山区祇園町北側625
サイト
八坂神社

概要

古くから疫病除けの神として広く信仰を集め、7月の祇園祭で知られる。 かつて祇園社と呼ばれていたことから「祇園さん」の愛称で親しまれる。 社伝によれば、656年、高句麗より渡来した伊利之(いりし)が、新羅の牛頭山に祀られるスサノオ(ヤマタノオロチ(あらゆる災厄)を退治し、地上に幸いをもたらした神)を愛宕郡の八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜り子孫が祠官として奉仕したのが由来といわれる。 かつてこの一帯には高い格式を誇った観慶寺(祗園寺)と称された定額寺があったといわれ、その境内にあった天神堂が八坂神社の前身といわれる。 平安時代、疫病が流行し、神泉苑に矛66本を立て、祗園社から神輿を送ったことが記されており、970年ごろから祭礼として毎年御霊会が行われるようになったのが現在の祇園祭である。 明治の神仏分離令により、「八坂神社」と改められた。 現在、八坂神社を総本社とし、スサノオを祭神とする神社が全国に約2,300社ある。

見所

国重要文化財
本殿 - 1654年、徳川家綱により再建。かつて別棟であった本殿と拝殿を一つの屋根で覆った「祇園造」とよばれる全国唯一の珍しい様式。
西楼門 - 1497年の再建。再建時は桧皮葺だった。大正二年、四条通の拡張に伴い移動し翼廊が付けられた。狛犬は大正15年の献納。
石鳥居 - 1666年の再建。
蛭子社社殿 - 1646年の建立。
算額絵馬 - 絵馬堂で復元額を掲示。
八坂神社文書 40冊
木造狛犬 -(京都国立博物館寄託)
紙本着色祇園社絵図 -(京都国立博物館寄託)
祇園執行日記 9冊 -(京都国立博物館寄託)
鉦鼓 -(京都国立博物館寄託)
太刀 4口 -(東京国立博物館寄託)
観光名所
舞殿
南楼門
絵馬堂 - 長谷川鄰完奉納の算額が掲げられている。
月下氷人石 - 南楼門南側に立つ。三石柱(他は誓願寺、北野天満宮)の一つで、1839年の建立。
忠盛燈籠 - 拝殿東方に立ち、平忠盛と白河上皇の故事が残る。
摂社 - 疫神社、悪王子社、冠者殿社(境外社)。
末社 - 北向蛭子社、大神宮、美御前社、大国主社、玉光稲荷社、日吉社、刃物神社、厳島社、太田社、大年社、十社(多賀社、熊野社、白山社、愛宕社、金峰社、春日社、香取社、諏訪社、松尾社、阿蘇社)、五社(八幡社、竈神社、風神社、天神社、水神社)。
四条御旅所 - 四条京極南側にある御旅所。祇園祭の7月17日から24日に神輿三基が安置。
三条御供社(又旅社) - 三条通黒門にある御旅所。祇園祭の7月24日の還幸祭に神輿三基が安置。
大政所御旅所旧跡 - 烏丸通仏光寺下ルにある御旅所旧跡。祇園祭の7月15日に長刀鉾の長刀が収められ、16日に神剣拝戴の儀が奉納。

祭事

1月1日
白朮祭(をけら詣り) - 氏神の御火をいだく行事。吉兆縄にをけら火をつけて持ち帰り、その神火で、お雑煮が焚かれ、一年間の無病息災が祈念される。
1月3日
初能奉納 - 隔年で金剛流/観世流による「翁」と「仕舞」の奉納。
1月3日
かるた始め式 - 日本かるた院本院により十二単姿でのかるた取り。
1月9日
蛭子社祭(宵蛭子) - 四条通を七福神を乗せた「えびす船」が巡行。
2月3日
節分祭 - 先斗町、宮川町、祇園甲部、祇園東の花街の芸子舞妓さんらにより舞踊が奉納され、開運の豆まきが行われる。
3月17日
祈年祭 - 舞殿にて浦安の舞が奉奏。
6月15日
例祭 - 平安時代から宮廷で行われていた歌舞「東游」の神楽奉納。
6月30日
夏越祭 - 疫神社の大祓式。大きな茅の輪が建てられ、それをくぐり邪気が祓われる。
7月
祇園祭 - 7月1日の「吉符入」で幕を開け、7月16日の宵山、7月17日の山鉾巡行、神幸祭、7月24日の花傘巡行、還幸祭を中心に、7月31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じる。
8月7日
七夕祭 - 境内に大笹が立つ。
9月中秋名月
観月祭
11月3日
舞楽奉納 - 舞殿前に大太鼓を組み、舞楽が奉納される。
12月28日
鑚火式(さんかしき) - をけら火の浄火をきり出す神事。桧の杵と臼をすり合わせて火をおこし、をけら灯籠に移す。その火は本殿内に年中絶やすことなく灯しつづけられる。
12月31日
除夜祭 - 「をけら灯籠」に「をけら火」を移す。

歴史

656年
社伝によれば、高麗からの渡来人 伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山のスサノオの神霊を、八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まると伝わる。その後、東山一帯には八坂造一族が住み始めたと伝わる。
869年
疫病が流行し、神泉苑に矛66本を立て、祗園社から神輿を送った。これが祇園祭の由来となった。
876年
僧 円如が播磨国の牛頭天王の分霊を勧請し、藤原基経が精舎を建立して観慶寺(祇園寺)と称した。
926年
修行僧が観慶寺境内に天神堂を建て、その後、観慶寺が衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり祇園社となった。 鳥居の扁額には、「感神院」と記されていた。
平安時代中期
一帯の産土神として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を集めた。
10世紀末
興福寺の配下であったが、延暦寺がその末寺とした。
1070年
鴨川西岸の広大の一帯を境内に認められ、朝廷権力からの「不入権」を得た。
1384年
足利義満は、祇園社を比叡山から独立させた。
明治維新
廃仏毀釈により祗園社 観慶寺が廃寺になり、仏像などが大蓮寺に移され、神仏混交禁止により感神院祇園社から八坂神社に改められた。

撮影後記

 八坂神社と云えば祇園祭ですね。 祇園祭は京都だけではなく、日本各地の祇園社系で行われ(例大祭とか天王祭と言われる場合も)、私のよく撮影する鎌倉でも行われます。 ただ、八坂神社の祇園祭が発祥の地です。 祇園祭の面白い話として、八坂神社の紋とキュウリを輪切りにした切り口の模様が似ていることから、祇園祭の期間は、夏野菜のキュウリをあえて口にしない風習があるそうです。
 以前は、鴨川の西岸の広大な地域、今でいう京都市街地も境内としていて、京の町衆の篤い信仰を集め商売繁盛の神様として信仰を集めています。 今でも四条大橋たもとにある南座付近から西楼門の石段下までの四条通は、八坂神社の参道だそう。 ギャラリーに掲載した「四条通の町衆」の写真がそうで、明治神宮の参道である表参道のように車道として使用されています。
 境内は、東西南北に出入り口があり24時間出入り自由で開放感があります。 かつては南都北嶺の支配を受けていたことから、神社ではなく寺の色合いが濃かったそうですが、現在は摂社・末社も数えきれないほどあります。 祗園神水や美容水なるものも湧いていて芸子舞妓など美容関係の方などの崇敬を集め、水を汲みにきている飲食店の方もたまに見かけます。 なんでも、地下水脈が二条城の近くの神泉苑まで通じているとかで、不思議な魅力のある神社で、今はやりのパワースポットかもしれません。

更新履歴

2011年3月2日
初版をアップロードしました。
2012年2月6日
「八坂神社について」を加筆修正しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

八坂神社紀行のコメント

コメント欄

吸い込まれるような写真を撮影されるんですね。まるで神社にいるかのような錯覚を覚え、写真を見ながら、数秒間、時間が泊まってしまいました。

はじめましてお邪魔致します、いつも楽しませていただいています。紅葉色や朱色の映り方が素晴らしいなぁと常々感じながら拝見しております。
管理人様がたくさんの素敵な風景に巡り合える2014年となりますよう。返信は不要です。

※どのページも素敵なのですが、せっかくなので近所である八坂神社のページでコメントさせていただきました。今年も是非おいでになってください。

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野