宗忠神社

黒住宗忠

吉田山神楽岡に鎮座する黒住教教祖である黒住宗忠を祀る神社。宗忠の死後、高弟の赤木忠春が吉田神社より社地を譲り受け、1862年に創建された。幕末には、孝明天皇の唯一の勅願所とされ篤い崇敬を受けた。

宗忠神社

宗忠神社について

基本情報

社名
宗忠神社(むねただじんじゃ)
別称
神楽岡宗忠神社
創建
1862年(文久二年)
主祭神
黒住宗忠(本社)、天照大御神(神明宮)
旧社格
府社
例祭
第4日曜日、10月(神明宮)
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京大正門前バス停徒歩10分
住所
京都府京都市左京区吉田下大路町63
サイト
大元 宗忠神社(岡山)

概要

吉田山神楽岡に鎮座する黒住教教祖である黒住宗忠を祀る神社。 備前国の代々禰宜をつとめる社家に生まれた宗忠は、不治の病で死を覚悟していた35歳の時、太陽を拝む中で天照大御神と一体になるという霊験(天命直授)を得て病を克服し、黒住教を創始した。 宗忠の教えは、武士や町人をはじめ農民など広く万人の信仰を集め、宗忠の死後、高弟の赤木忠春が、吉田神社より社地の一部を譲り受け、1862年、宗忠大明神を勧請し社殿を建立した。 幕末には、孝明天皇の唯一の勅願所とされ、皇室や二条家、九条家などの篤い崇敬を受けた。 本殿の北に並ぶ神明宮は、天照大御神を祭神とし、二条家関白殿の神明宮を遷したもの。

見所

観光名所
本殿 - 明治45年の改築。
拝殿 - 昭和12年の改築。
神明宮 - 本殿北に並び、天照大御神を祭神とする。二条家関白殿の神明宮を遷したもの。
参道 - 桜の名所。逆立ちした備前焼の狛犬がある。
ご神水井戸 - 吉田山に位置しているため水は出ないといわれていたが、赤木忠春が三十尺だけ掘り、御神水を空井戸に注ぎ祈願したところ、水が涌き出していたといわれる。御神慮に適わぬことが起こると濁るといわれる。
境内社 - 白山社、忠春社(赤木忠春を祀る)
黒住教神楽岡中教会所

祭事

4月第4日曜日
例祭
10月
神明宮 例祭

歴史

1780年
黒住宗忠が、備前国の代々今村宮の禰宜をつとめる家に生まれた。
1814年
不治の病で死を覚悟していた黒住宗忠は、太陽を拝む中で天照大御神と一体になるという霊験(天命直授)を得て病を克服し、黒住教を創始した。
1850年
黒住宗忠が死去した。
1856年
神祇管領長上 吉田家より「宗忠大明神」の神号が与えられた。
1862年
高弟 赤木忠春が、吉田神社より社地の一部を譲り受け、宗忠大明神を勧請し社殿を建立した。
1865年
孝明天皇の唯一の勅願所とされ、皇室や二条家、九条家などの篤い崇敬を受けた。
明治9年
神道から独立し、神道黒住派と称し、近代古神道運動のさきがけとなった。

撮影後記

 吉田山の南側、竹中稲荷の南側に鎮座する神社です。 表参道からは正面に真如堂の赤門と本堂などの伽藍が望め、ちょうど真如堂と向かい合うかのように建っています。 真如堂の鎮守社のような趣もありますが、もとは吉田神社の社地だったそうです。
 参道には、宗忠の故郷の備前焼のカッコいい狛犬があり、ちょっとした隠れ桜名所になっています。 以前のように手すりが無かったら、もっと絵になるのですが。 最近、高齢者や障害者の参拝のため石段中央に手すりを設置しているところが増えていますが、雪国以外で必要なものなのでしょうかね。 中央は神様の通り道でもありますし。 日本は周囲の景観とミスマッチする物が多すぎます。

更新履歴

2013年2月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

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