菅大臣神社

菅原道真

菅原道真を祭神とする神社で、道真の邸跡で生誕の地に創建されたと伝わる。鎌倉時代に南側の当社(白梅殿社)と北側の北菅大臣神社(紅梅殿社)に分かれた。本殿は、明治2年に下鴨神社の旧本殿を移築したものである。

菅大臣神社

菅大臣神社について

基本情報

社名
菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)
別称
菅大臣天満宮
創建
平安時代前期
主祭神
菅原道真、尼神、大己貴命(大国主)
旧社格
府社
例祭
5月第2日曜日
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
西洞院仏光寺バス停すぐ、地下鉄四条烏丸駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区菅大臣町187

概要

菅原道真を祭神とする神社で、鎮座地には道真の邸宅「菅家廊下」という学問所があり、生誕の地と伝わる。 道真没後、都で異変が相次いだのは、道真の怨霊の祟りとされ、道真邸跡に御霊を鎮める社が造営されたと伝わる。 鎌倉時代に南北に分かれ、南側を「白梅殿社」(当社)、北側を「紅梅殿社」(現在の北菅大臣神社)と称した。 本殿は明治2年に下鴨神社の旧本殿を移築したもので、幣殿と合わせて八棟造の豪華な社殿である。

見所

観光名所
本殿 - 1835年造立の下鴨神社の三間社流造本殿を明治2年に移築し、その後幣殿を建立し八棟造をなしている。
天満宮誕浴の井 - 菅原道真の産湯に使われたといわれる誕生水を汲んだ井戸。
飛梅 - 道真が大宰府に旅立つ際に紅梅殿(現在の北菅大臣神社)にあった梅に「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠んだところ、道真を慕って太宰府に飛んで行ったといわれる飛梅伝説の梅。
イチョウ - 幹周4m以上の御神木。京都市の保存樹に指定されている。
摂社 - 火御子社、老松社、白太夫社、福部社。
末社 - 春崎稲荷社、三玉稲荷社。

祭事

5月第2日曜
例祭(菅大臣祭) - 宵宮には、献茶式、観音供養、詩吟奉納が行なわれる。
10月29日
秋思祭

歴史

平安時代前期
この地には菅原道真の邸宅「菅家廊下」という学問所があり、「天神御所」「白梅殿」とも呼ばれた。
903年
道真没後、都で異変が相次いだのは、道真の怨霊の祟りとされ、道真邸跡に御霊を鎮める社が造営されたと伝わる。
鎌倉時代
南北に分かれ、南側を「白梅殿社」(菅大臣神社)、北側を「紅梅殿社」(北菅大臣神社)と称した。
1614年
管家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され、曼殊院の知行地となった。
1788年
天明の大火で焼失した。
1864年
蛤御門の変(禁門の変)により焼失した。
明治2年
下鴨神社の旧本殿が、本殿として移築された。
明治6年
神仏分離により、曼殊院から独立した。

撮影後記

 下京のビルのなかに埋もれるように鎮座している天神さまです。 かつては南北二町、東西一町といわれる広大な社域があり、仏光寺通の北にある小社の北菅大臣神社も、鎌倉時代に分かれた片割れです。 現在でも北の仏光寺通、南の高辻通、西の西洞院通にそれぞれ参道入口の鳥居が立っていて、東西一町にあるビルが、かつての境内地に建っていることが分かります。

更新履歴

2015年1月19日
初版をアップロードしました。

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