寺田屋

寺田屋事件址

伏見の船宿寺田屋は、幕末に起きた2事件(島津久光によって鎮撫された寺田屋騒動と坂本龍馬襲撃事件)「寺田屋事件」の舞台として高名である。鳥羽伏見の戦で焼失し、現在の旅籠は明治期に再建されたものである。

寺田屋

寺田屋について

基本情報

名称
寺田屋騒動址(てらだやそうどうあと)
別称
寺田屋
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪中書島駅徒歩5分
所在地
京都府京都市伏見区南浜町263

概要

伏見の船宿寺田屋は、幕末の寺田屋騒動と坂本龍馬襲撃事件が起きた「寺田屋事件」の舞台として高名である。 1862年(文久二年)、薩摩藩急進派 有馬新七以下35名が、関白 九条尚忠と京都所司代 酒井忠義の襲撃を計画して集結したところ、尊王派薩摩藩の島津久光が、藩士を抑えようと鎮圧に向かわせたが、両者乱闘となり7名が斬られ2人は切腹した。(寺田屋騒動) 1866年(慶応二年)、伏見奉行 林肥後守忠交の捕方が、宿泊していた坂本龍馬を暗殺しようとしたが、女将お登勢の養女 お龍の機転により危うく難を逃れた。(坂本龍馬襲撃事件) 寺田屋は鳥羽伏見の戦で焼失し、現在の旅籠は明治期に再建されたものである。

見所

観光名所
旅籠寺田屋 - 柱の刀傷、龍馬が宿泊していたとされる梅の間、お龍が入浴していたとされる風呂桶と裸のまま駆け上ったとされる裏階段などがある。京都市では鳥羽・伏見の戦いで焼失し、後の時代に西隣に建てられたものとしている。
寺田屋騒動記念碑 - 殺害された薩摩藩士9名を追慕して明治27年に建立された。有栖川宮熾仁親王の筆。
お登勢明神 - 坂本竜馬とお龍を結んだ女将 お登勢が祀られ、縁結びの神とされている。

歴史

1597年
寺田村の百姓 伊助が、船宿を開業して「寺田屋」と命名した。
1862年
薩摩藩急進派が、関白 九条尚忠と京都所司代 酒井忠義の襲撃を計画して集結したところ、尊王派藩士と乱闘となり9名が死亡した。(寺田屋騒動)
1866年
伏見奉行 林肥後守忠交の捕方が、宿泊していた坂本龍馬を暗殺しようとしたが、危うく難を逃れた。(坂本龍馬襲撃事件)
1868年
鳥羽・伏見の戦いにより焼失した。
明治後期
現在の寺田屋が西隣に再建された。

撮影後記

 現在は京都市の指導などで、再建されたものとして認識されているようですが、数年前までは寺田屋側と専門家側との再建論争がありました。 この問題に火をつけたのは2008年9月1日号の「週刊ポスト」だそうで、京都市が歴史資料館に調査を依頼し、それを各報道機関で採り上げられて脚光を浴びるようになりました。
 ちなみに、旅籠ということで旅館ともなっていて、実際に宿泊することも可能だそうです。 日曜と月曜、そして「梅の間」は宿泊できず、 酒、煙草、食品の持ち込み禁止です。 一泊一名6,500円からということなので、竜馬ファンならば、ビジネスホテルに泊まるより割安と云えそうです。

更新履歴

2015年1月17日
初版をアップロードしました。

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