禅居庵

摩利支天堂

鎌倉時代末、宋から招請された清拙正澄禅師が、晩年退隠された臨済宗建仁寺の塔頭。室町時代後期の摩利支天堂には、禅師自刻と伝わる秘仏摩利支天像を安置している。猪の像が数多く祀られ、「猪寺」とも称せられる。

禅居庵

禅居庵について

基本情報

寺号
禅居庵(ぜんきょあん)
別称
猪寺、摩利支天堂
宗派
臨済宗建仁寺派
寺格
建仁寺塔頭
創建
1333年(元弘三年)
開山
清拙正澄(せいせつしょうちょう) - 建仁寺第23世。
開基
小笠原貞宗 - 信濃小笠原氏。
本尊
聖観音
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
東山安井バス停徒歩5分
住所
京都府京都市東山区小松町146
サイト
禅居庵

概要

臨済宗大本山建仁寺の塔頭で、建仁寺第23世 清拙正澄禅師が晩年退隠された塔所である。 鎌倉時代末、中国福建省福州から日本に招請された禅師は、鎌倉の執権 北条高時に迎えられた。 その際、自刻の摩利支天像を袈裟に包み持参したと伝わる。 摩利支天は開運・勝利の守護神として中世の武士の間で信仰が広まり、イノシシを眷族として従えるため、境内に猪の像が数多く祀られ、「猪寺」とも称せられる。 室町時代後期の禅宗様仏殿建築である摩利支天堂には、7頭の猪の上に坐している秘仏摩利支天像を安置している。 毎年10月20日の大祭で、摩利支天像が開帳される。

見所

国重要文化財
紙本墨画松竹梅図 12面 - 桃山時代の海北友松の筆。(京都国立博物館寄託)
府文化財
摩利支天堂 - 室町時代後期の禅宗様仏殿の建築。7頭の猪の上に坐している秘仏泥塑摩利支尊天像を安置。
観光名所
書院 - 2畳台目の「棺割の席」がある。清拙正澄が棺に納められる際、閉じていた目を見開き棺を割り遺戒を授けたという逸話より命名された。
猪像 - 摩利支天はイノシシを眷族として従えるため、境内に猪の像が数多く祀られている。
墓地 - 清拙正澄、小笠原貞宗の墓。

行事

毎月第1亥の日
開運・勝利 摩利支尊天縁日 - 建仁寺の僧衆により大般若600巻転読祈祷を厳修する。
10月20日
大祭 - 秘仏摩利支天像が開帳される。

歴史

1327年
清拙正澄が日本に招請され、鎌倉の執権 北条高時に迎えられた。その際、自刻の摩利支天像を袈裟に包み持参したと伝わる。
1333年
後醍醐天皇の招請により清拙正澄は建仁寺に住し、小笠原貞宗の寄進で禅居庵が創建された。
1339年
清拙正澄が当庵にて遷化した。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1536年
天文法華の乱で焼失。
1547年
織田信長の父 信秀が、摩利支天堂を再建して摩利支天像を安置した。
1597年
進月正精が再興した。
明治44年
現在の伽藍が再建された。
昭和48年
失火により本堂を焼失した。

撮影後記

 建仁寺の勅使門の西にある塔頭で、境内の南西側に摩利支尊天堂があります。 禅居庵の方は非公開で、摩利支天堂だけが常時参拝できます。
 開祖である清拙正澄禅師は、はじめ北条高時に迎えられて鎌倉の建長寺、浄智寺、円覚寺に住山したとのことです。

更新履歴

2015年2月5日
初版をアップロードしました。

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