六孫王神社

清和源氏発祥の宮

源経基の長子である満仲が、父を祀るため創建。清和源氏の祖である経基を祭神とするため「清和源氏発祥の宮」と称している。経基は、清和天皇の第六皇子の孫であることから「六孫王」と呼ばれ、これが社名の由来。

六孫王神社

六孫王神社について

基本情報

社名
六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)
別称
六ノ宮権現 - 旧称
創建
963年(応和3年)
主祭神
六孫王大神(源経基)
旧社格
正一位
例祭
10月体育の日「宝永祭」
札所
京都十六社朱印めぐり
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京都駅徒歩13分、市バス17系統六孫王神社前バス停すぐ
住所
京都府京都市南区壬生川通八条角
サイト
六孫王神社

概要

源経基の長子である源満仲が、父を祀るために経基の邸宅「八条亭」跡に創建した神社。 清和源氏の祖といわれる源経基を祭神とするため、「清和源氏発祥の宮」と称している。 多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と共に「源氏三神社」の一つである。 経基は、清和天皇の第六皇子である貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれ、これが社名の由来である。 守護神、出世開運、家運隆昌などの御利益があるとされる。

見所

観光名所
本殿 - 1700年、徳川綱吉により本殿・拝殿が再建された。本殿の後方にある石室が源経基の遺骸を埋葬した霊廟。
神龍池 - 八条亭の池だったいわれる。
誕生水弁財天社 - 源満仲が誕生するときに、琵琶湖竹生島より勧請し建てられたもの。
満仲誕生水 - 弁天堂内にあり、京都の名水の一つ。
御衣黄桜(ぎょいこうざくら) - 薄黄緑色の珍しいサトザクラで、昭和41年に植樹された。

祭事

毎月1日
家運隆盛 子孫繁栄祈願祭 育児健育祈願祭
1月1日
元旦祭
1月第2日曜日
成人式 とんど祭
2月3日
節分祭
2月春分の日
祖霊祭
4月第2日曜日
源氏祭
6月13日
弁財天御開帳祭
6月30日
夏越の祓祭
9月秋分の日
夏越の祓祭
10月体育の日
宝永祭(神幸祭) - 四匹の鬼が先頭に立ち、神官の格好をした子供たちが金銀の御幣・鉾・盾を持ち、大通寺に向かう沿道の邪気をなだめ、お祓いをしながら神輿巡行が行われる。
11月中
七五三詣
11月第3日曜日
御火焚祭(おひたきさい)
12月31日
除夜祭

歴史

平安時代中期
源経基は、清和天皇の第六皇子である貞純親王の子として生まれ、天皇の第六皇子の孫ということで「六孫王」と称された。元服すると、臣籍に下って源の姓を賜わり清和源氏の祖となった。承平・天慶の乱に関東・瀬戸内海の追討使を承り、現地に赴き凱旋の後、鎮守府将軍に任じられた。
961年
経基は、現在の地に「八条亭」という住居を構え、臨終の際に「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と遺言した。
963年
経基の長子である源満仲が、遺言に従い当地に埋葬し霊廟を建て「六ノ宮権現」と称したのが起源。本殿後方に石積の神廟が残っている。
鎌倉時代
源実朝の妻である本覚尼(坊門信子)が、暗殺された夫を弔うため、北隣に遍照心院(大通寺)を建立し、その鎮守社とされた。
応仁の乱
兵火で社殿を失い神廟だけが残され荒廃。
元禄宝永年間
徳川家が清和源氏の末裔を自称していたため、五代将軍綱吉の時代に本殿や拝殿等が再建された。
1701年
正一位の神階と権現号を賜った。
明治元年
神仏分離令により、大通寺と分離された。
明治45年
東海道線の移設工事によって大通寺が移転した。

撮影後記

 京都駅にほど近くに位置している神社です。 境内北隣の高架を新幹線がひっきりなしに通り、浄域との落差が印象的ですが、境内は落ち着いています。
 桜が多く植樹され、中には珍しい御衣黄(ぎょいこう)などのサトザクラもあり、隠れ桜スポットかもしれません。 宵になると、わずか二組だけの地元の方が、桜の下でお花見宴会をやっているほど、のほほんとしていました。 また、六孫王が、牡丹(ボタン)を特に愛でたそうで、邸宅に植えていた牡丹園が嵯峨野まで続いていたとも。 そのため、神紋が牡丹になっています。

更新履歴

2011年10月3日
初版をアップロードしました。
2012年1月20日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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