良正院

督姫の菩提所

浄土宗総本山知恩院の塔頭で、徳川家康次女である督姫の菩提所である。1631年、督姫の子 池田忠雄が、母の菩提を弔うため知恩院から位牌を遷し菩提所とした。重文の本堂と表門は、知恩院塔頭の数少い遺構として貴重。

良正院

良正院について

基本情報

寺号
良正院(りょうしょういん)
宗派
浄土宗
寺格
知恩院塔頭
創建
1631年(寛永八年)
開山
宗把
本尊
阿弥陀如来
駐車場
有料駐車場あり - 知恩院駐車場利用。
交通機関
知恩院前バス停徒歩3分
住所
京都府京都市東山区林下町402

概要

浄土宗総本山知恩院の塔頭で、徳川家康次女である督姫の菩提所である。 1631年、督姫の子 岡山藩主池田忠雄が、母の菩提を弔うため母の法号より「良正院」とし、知恩院から位牌を遷し菩提所とした。 本堂及び表門は国の重要文化財に指定され、知恩院塔頭の数少い遺構として貴重である。 本堂竹の間において、勤王の志士 奥田萬次郎が自刃している。

見所

国重要文化財
本堂 - 1631年の建立で、知恩院塔頭本堂の数少い遺構。鶯張りの廊下で、金箔襖絵は京狩野の三益の筆といわれる。竹の間において、勤王の志士 奥田萬次郎が自刃した。
表門 - 寛永頃(1624年~1644年)の建立。薬医門形式。
府文化財
鎮守堂 - 江戸中期の建立。板札に寛保年中此瓦葺の記がある。
観光名所
歌碑 - 門前に立つ「戦友」という歌碑は、戦時中に歌われた「こゝはお国を何百里」が刻まれている。晩年を付近で過ごした作詞家 真下飛泉が、昭和2年に亡くなり、京都府師範学校付属小の教え子により建立された。

歴史

1428年
「浩翁軒」が建立された。
1615年
徳川家康次女 督姫が姫路城で亡くなり、知恩院に葬られた。
1631年
督姫の子 岡山藩主池田忠雄は、母の菩提を弔うため浩翁軒の寺域を拡張し、母の法号より「良正院」とし、位牌、御影を遷し菩提所とした。
1633年
焼失した。
1863年
本圀寺事件で、良正院に集まった因幡二十士が、鳥取藩側用人 黒部権之介らを暗殺し、志士の奥田萬次郎は自刃した。

撮影後記

 神宮道を挟んで黒門の向かいにある知恩院の塔頭です。 境内には社会福祉法人大照学園があります。 大正15年に保護少年収容施設として誕生しましたが、戦後に少年法の改正により聴覚障害児施設として再発足。 現在は知的障害児施設となっています。 季節のいい時期には、利用者たちによる陶芸作品などを観光客に販売しているそうです。

更新履歴

2014年12月16日
初版をアップロードしました。

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