勝林院

大原問答

天台宗大原寺下院にあたる。浄土宗祖法然が、この地で専修念仏について宗論を戦わせ、他派を論破した「大原問答」の遺跡。このとき阿弥陀仏の御手から光明を放ったとされ、本尊は「証拠の阿弥陀」と称される。

勝林院

勝林院について

基本情報

山号寺号
魚山勝林院(ぎょざんしょうりんいん)
別称
問答寺
宗派
天台宗
寺格
大原寺下院
創建
851年~854年(仁寿年間)
開山
円仁 - 慈覚大師。
中興
寂源(じゃくげん) - 1012年、勝林院を建立。
本尊
阿弥陀如来
札所
法然上人25霊跡 第21番
駐車場
駐車場なし - 周辺に有料駐車場多数あり。
交通機関
京都バス大原下車徒歩10分
住所
京都府京都市左京区大原勝林院町1187

概要

天台宗大原寺下院にあたり、延暦寺の別院である。 仁寿年間(851年~854年)、円仁が入唐して学んだ梵語の仏教歌謡である梵唄(ぼんばい)などの声明(しょうみょう)の修練道場として創建したものである。 天台宗の顕真が、法然らを勝林院に招き、専修念仏について宗論を戦わせ、法然の専修念仏が他派を論破した「大原問答」の遺跡として知られる。 このとき阿弥陀仏の御手から光明を放ったとされ、本尊は「証拠の阿弥陀」と称される。 1012年、寂源(じゃくげん)が、下院にあたる勝林院を中興し、その後49坊が林立し「魚山大原寺」として興隆した。

見所

国重要文化財
梵鐘 - 平安時代の作。
宝篋印塔 - 1316年(正和五季丙辰五月一日)の刻銘。
市文化財
本堂 - 1777年の造営。手に五色の綱が結ばれる本尊の阿弥陀如来像(証拠の阿弥陀)が安置され、問答台(八講台)が置かれている。
鐘楼 - 寛永年間(1624年-1644年)の建築。

歴史

851年~854年
慈覚大師 円仁が、声明の修練道場として開山した。
1012年
慈覚大師九代目の弟子 寂源法師が、天台声明を伝承するために勝林院を中興した。勝林院には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられた。
1109年
融通念仏の開祖として知られる良忍が入山し、円仁が伝えた声明を統一し、魚山流声明を集大成した。
1156年
比叡山が、声明の根拠地である大原に梶井政所(三千院)を設置し、魚山大原寺の管理を行う。
1186年
天台宗の顕真が、法然らを勝林院に招き、専修念仏について宗論を戦わせ(大原問答)、法然の専修念仏が他派を論破した。このとき阿弥陀仏の御手から光明を放ったとされ、「証拠の阿弥陀」と称された。
1777年
徳川家の寄進により、本堂が後桜町天皇の常御所を移して再建された。

撮影後記

 宝泉院と実光院の本坊にあたりますが、霊跡寺院と化して、重厚な本堂が建っているのみです。 大多数のみなさんは、門前から中を覗いて、そのまま宝泉院の方へと向かってしまうようです。 本堂以外の衆目を惹くことといったら、境内の池にモリアオガエルが住んでいることぐらいかもしれません。 産卵時期ならば、水面上の青紅葉に泡で包まれた卵塊をいくつも見ることができます。

更新履歴

2012年11月10日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年9月29日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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