神應寺

行教律師

男山の山腹にある曹洞宗の寺である。860年、石清水八幡宮を勧請した行教律師によって創建された。平安時代の行教律師坐像は国の重要文化財。書院は伏見城御殿の遺構といわれ、狩野山雪筆の襖絵が描かれている。

神應寺

神應寺について

基本情報

山号寺号
絲杉山神應寺(ししんざんじんのうじ)
宗派
曹洞宗
創建
860年(貞観二年)
開山
行教
開基
行教
本尊
薬師如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪八幡市駅徒歩8分
住所
京都府八幡市八幡西高坊24

概要

男山の山腹にある曹洞宗の寺である。 860年(貞観2年)、石清水八幡宮を勧請した行教律師によって創建された。 はじめ応神天皇の御牌所として四宗兼学の「應神寺」と号されたが、後に天皇の号をはばかり曹洞宗「神應寺」と改めた。 平安時代の一木造である木造行教律師坐像は国の重要文化財。 書院は伏見城御殿の遺構といわれ、狩野山雪筆の「竹虎図」「御所車」などが襖戸杉戸に描かれている。

見所

国重要文化財
木造行教律師坐像 - 平安時代の一木造。石清水八幡宮の開山堂に祀られていた。廃仏毀釈では、頭部に烏帽子を釘付けされていたため、僧侶ではないとして難を逃れた。
府文化財
鰐口 - 元弘2年(1332年)の銘。
市文化財
神應寺 障壁画 - 江戸初期の狩野山雪の筆。
木造矜羯羅童子立像 - 南北朝~室町前期の作。
木造制多迦童子立像 - 南北朝~室町前期の作。
観光名所
本堂 - 1795年の再建。本尊の薬師如来、日光・月光像、位冠束帯姿の豊臣秀吉坐像などを安置。
開山堂 - 行教律師坐像を安置。
書院 - 伏見城御殿の遺構といわれ、狩野山雪筆の「竹虎図」「御所車」などが襖戸杉戸に描かれている。
鐘楼 - 元禄五年(1692年)の棟札。
奥ノ院 - 大聖不動明王、矜羯羅童子像、制多迦童子像、厄除延命地蔵尊、豊川陀枳尼尊天などを祀る。
墓地 - 5代目淀屋辰五郎(江戸時代の豪商)、二宮忠八(明治時代の航空機研究者)の墓。

歴史

860年
行教によって、応神天皇の御牌所として四宗兼学の「応神寺」が創建された。
鎌倉時代
曹洞宗峩山派となり、「神応寺」と改称された。
室町時代後期
足利将軍家によって本尊を釈迦如来に改められ、旧本尊の不動像は奥の院に遷された。
1596~1615年
慶長年間、尾張国中島郡下津村(現在の小牧市)の曹洞宗正眼寺の末寺として再興された。
江戸時代
徳川家が代々帰依し、本尊が薬師如来に改められ、石清水八幡宮の神宮寺であった。

撮影後記

 石清水八幡宮の北側山腹にある寺で、男山ケーブルの索道下に建っています。 寺宝として、衣冠束帯の豊臣秀吉木像があります。 征韓の役に際して豊臣秀吉は、石清水八幡宮に詣で当寺に止宿しました。 秀吉は軍の先鋒に神官を望みましたが、恐れて意に服さなかったため機嫌を損ねてしまいました。 しかし住持の機転で、征韓の首途にはまず應神天皇の御寺に参詣すべきと進言し、秀吉は機嫌を直し寺領200石を寄進したという話が伝わっています。

更新履歴

2015年2月22日
初版をアップロードしました。

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