常照寺

吉野太夫

鷹ヶ峰の地、本阿弥光悦の芸術村だったところに、江戸時代初期に建立された日蓮宗寺院。寛永三名妓の吉野太夫の菩提寺で、太夫ゆかりの吉野門や茶室遺芳庵がある。吉野桜咲く頃、太夫花供養が雅やかに行われる。

常照寺

常照寺について

基本情報

山号寺号
寂光山常照寺(じゃっこうざんじょうしょうじ)
別称
吉野の寺、檀林の寺
宗派
日蓮宗
創建
1616年(元和二年)
開山
日乾(にちけん) - 久遠寺第21世。
開基
本阿弥光嵯(ほんあみこうさ) - 光悦の子。
本尊
三宝尊
駐車場
無料駐車場あり - シーズンは拝観者に限り制限時間以内無料。
交通機関
市バス源光庵前バス停徒歩3分
住所
京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45

概要

鷹ヶ峰の地、本阿弥光悦の芸術村だったところに、江戸時代初期に建立された日蓮宗寺院。 日乾が開創、鷹峰檀林と称された。 寛永三名妓の吉野太夫(よしのたゆう)の菩提寺で、太夫ゆかりの吉野門や茶室遺芳庵がある。 また、毎年4月第2日曜には吉野太夫花供養が雅やかに行われ賑わう。 吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜(染井吉野)をはじめ、桜の名所でもある。

見所

観光名所
本堂 - 日潮筆の扁額「旃檀林」が掲げられている。
吉野門 - 寛永年間、吉野太夫23歳の時に寄進した赤門。
茶室 遺芳庵(いほうあん) - 吉野太夫が好んだ大きな丸窓「吉野窓」がある。
吉野太夫の墓 - 開山堂の奥にある。

行事

4月第2日曜日
吉野太夫花供養 - 吉野太夫を偲び、墓所に献茶の法要が行われ、源光庵から常照寺まで太夫の道中がある。

歴史

1615年
本阿弥光悦が、徳川家康から鷹峯に土地を与えられ、一族や職人などの芸術家たちを集めて移住し、光悦村(芸術村)を築いた。
1616年
身延山久遠寺第21世の日乾は、本阿弥光悦から土地を寄進され常照寺を建立した。
1627年
光悦の子である本阿弥光瑳の発願により、日蓮宗の学問所・学寮として「鷹峰檀林」を開設した。
1628年
寛永三名妓といわれる二代目吉野太夫は、日乾に帰依し私財を投じて山門(吉野門)を寄進した。
江戸時代
三十余棟の堂宇が建ち、「山城六檀林」として栄えた。
明治5年
学制発布によって鷹峰檀林は廃檀した。
昭和28年
吉野太夫花供養がはじまった。

撮影後記

 はじめてお邪魔した時のこと。 拝観受付をすると、本堂でお参りして、まず書院でビデオを見てくださいと勧められました。 そう云われてしまえば、早く庭園に行きたいところなのですが、我欲を抑え、まずビデオを見ることに。 他に誰もいなく自宅のシアタールーム化した部屋では、数年前のテレビ番組を上演していました。 吉野太夫がヒロインとなる脚本。 そのときの印象が刷り込みの如く脳裏に刻まれ、私の中では常照寺イコール吉野桜です。 なお、大夫の吉野で、吉野山の吉野ではないので、ヤマザクラは見かけなかったと記憶しているのですが。
 吉野太夫の人となりを。 幼少のころに禿(遊女の世話をする娘)として林家に抱えられ、若干14歳で太夫になる。 歌に秀でていて、音楽の才もあり、さらに茶道、書道、華道、囲碁なども極めた才色兼備のスーパーレディだったらしい。 ちなみに、日乾上人に帰依したのは、本阿弥光悦の縁故からだそうです。

更新履歴

2011年10月14日
初版をアップロードしました。
2012年1月22日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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