上賀茂社家町

国の重伝建地区

上賀茂神社南東一帯は、社家と町屋が一体となった優れた歴史的風致を形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。社家は神社に仕えてきた世襲神官の屋敷で、室町期に社家の門前町が形成されたとみられる。

上賀茂社家町

上賀茂地区について

基本情報

名称
上賀茂社家町(かみがもしゃけまち)
別称
社家の町並み
指定
上賀茂重要伝統的建造物群保存地区、上賀茂歴史的風土特別保存地区
駐車場
有料駐車場あり - 上賀茂神社駐車場利用。
交通機関
上賀茂神社バス停徒歩2分
所在地
京都府京都市北区上賀茂池殿町・中大路町・南大路町・藤ノ木町・山本町

概要

上賀茂神社の南東一帯には社家と町屋が一体となった30数軒の伝統的建造物が建ち並ぶ優れた歴史的風致を形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 社家は上賀茂神社に代々仕えてきた世襲神官(社司と氏人)の屋敷で、鎌倉時代まで賀茂県主の後裔という「賀茂十六流」の家柄からのみ選ばれていた。 室町時代には社家の門前町が形成されたとみられる。 神社境内から流れ出る明神川に沿って、「豕扠首(いのこさす)」という妻飾りを持つ社家が建ち並び、明神川に架かる小橋や土塀越しに見える前庭の樹木と一体となって、社家町の歴史的景観を今に伝えている。

見所

市名勝
西村家庭園 - 上賀茂神社の社家であった錦部家の旧宅庭園で、平安時代後期に上賀茂神社18代神主の藤木重保によって作庭されたといわれる。水垢離場として使われた円形の窪みや神山の降臨石をかたどったといわれる石組みがある。
岩佐家庭園 - 上賀茂神社に仕えた社家で、現在の庭園の原型は天明2年(1782年)頃に築かれたものと考えられる。現在でも明神川支流から流水を引き入れて鑓水とし、再び川に戻している。
市文化財
岩佐家住宅 - 上賀茂社家十六流れのうち「氏」の流れに属している社家で、主屋(1785年築)、土蔵(1764年築)、表門、土塀、及び庭園が配される。鳥居形玄関や供待ち、束と貫で飾る妻面に社家の特色があらわれる。
梅辻家住宅 - 上賀茂神社に仕えた社家で、天保9年(1838年)頃の建築。居室部は正面に式台を設け妻面は柱と貫で飾る。座敷部は押板風の床の間と付書院を備えて花頭窓を開く意匠で、御所の学問所を移したものという。
市登録文化財
岩佐家文書 - 室町時代から江戸時代までの古文書五千点。
観光名所
上賀茂本通 - 通りに沿って明神川が流れ、石垣を積み土塀で囲った社家の旧家が連なる。「藤ノ木通」とも呼ばれる。歴史的景観を保持するため電線類の地中化が進められている。
明神川 - 鴨川の志久呂橋下流より取水され、上賀茂神社の「ならの小川」が境内を流れ出ると「明神川」と名を変える。社家の旧家にそれぞれ橋が架けられ、各家に流れ込んで池泉を作り、その水は禊ぎの水として使われ、再び明神川に戻る。下流は「すぐき菜」の産地である。
藤木社(ふじのきのやしろ) - 明神川のほとりに鎮座する上賀茂神社の境外末社。京都市保存樹の樹齢500年の大クスノキが一間社流造の祠を守るように立っている。

歴史

古代
賀茂氏族の後裔が社の周辺に農民として住んだ。
室町時代
上賀茂神社神官の住む社家の門前町が形成された。
戦国時代
溝を築いて防御した。
江戸時代
大門と木戸門によって守られ、275軒の社家が存在した。
明治維新
神官(社司と氏人)は内務省神祗官の職となり解かれ、神主家七家の制度も廃止された。
昭和63年
文化財保護法に基づき、重要伝統的建造物群保存地区として選定された。

撮影後記

 市内に四地区(上賀茂地区、産寧坂地区、祇園新橋地区、嵯峨鳥居本地区)ある伝統的建造物群保存地区のひとつです。 明神川は昭和30年代に暗渠化の話も出たそうですが、各屋敷に一本だけ小橋を架ける取り決めが今も守られ、歴史的風致を留めています。 昔は上賀茂名物すぐき(乳酸発酵漬物)を川で洗う日常光景も見られたそうです。
 なお、上賀茂神社の社家である井関家は、保存地区の範囲外なので「上賀茂紀行」の方に掲載しています。

更新履歴

2015年10月20日
初版をアップロードしました。

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