安養寺

円山公園と念仏発祥の地

円山公園東端にある時宗の古寺。かつて円山公園の東北一帯も寺域としていた。円山公園の名称は、山号「慈円山」によるものである。また、法然・親鸞の両上人念仏発祥の地「吉水草庵」としても名高い。

安養寺

安養寺について

基本情報

山号寺号
慈円山安養寺(じえんざんあんようじ)
別称
吉水草庵(よしみずそうあん)
宗派
時宗
創建
782年~806年(延暦年間)
開山
最澄
中興の祖
慈円
本尊
阿弥陀三尊
駐車場
駐車場なし - 門前に駐車スペースあり。
交通機関
祗園バス停下車徒歩10分
住所
京都府京都市東山区円山町624
サイト
吉水草庵 安養寺

概要

最澄によって創建されたといわれる円山公園東端にある時宗の古寺。 明治政府によって円山公園が整備されるまで、円山公園の東北一帯を寺域とする広大な寺院だった。 円山公園の名称は、中興の祖である慈円から号された山号「慈円山」によるものである。 法然・親鸞の両上人念仏発祥の地「吉水草庵」としても名高い。 江戸時代、現在の円山公園には「六阿弥」と呼ばれる安養寺の宿坊があり遊山客に茶の接待をして賑わった。 現在は、円山公園に佇む料亭「左阿弥」にその名残が見られる。

見所

国重要文化財
宝塔 - 慈鎮和尚多宝塔。弁天堂の東北隅にある高さ2.4mの鎌倉時代初期の石塔。
観光名所
阿弥陀堂 - 阿弥陀三尊を祀る本堂。
書院
聖天堂
閼伽水の井戸 - 慈円が閼伽の水として利用したといわれ、「吉水」と刻まれている。
吉水弁財天堂 - 円山公園にある飛地境内。慈円が、鎮守として比叡山から勧請したものといわれる。
料亭 左阿弥 - 江戸時代、現在の円山公園には「六阿弥」と呼ばれる安養寺の宿坊があり遊山客に茶の接待をした。現在は「左阿弥」のみ残る。

歴史

782年~806年
延暦年間、桓武天皇の勅命で、最澄が天台宗寺院として開創したと伝わる。
1174年
法然が、この地に「吉水草庵」と呼ばれる庵を結んだ。
1177年
粟生光明寺から吉水草庵に移り、専修念仏を開き本拠地とした。
1190~1199年
建久年間、青蓮院の慈円(慈鎮)が中興し、青蓮院末寺「慈円山安養寺」となった。
1201年
親鸞が吉水草庵の法然のもとへ弟子入りした。
1207年
後鳥羽上皇が専修念仏を禁止し、法然を讃岐へ、親鸞を越後へと配流した。(建永の法難)
1385年
国阿(こくあ)によって再興され、天台宗から時宗に改宗された。
応仁の乱
兵火で廃墟となった。
1678年
境内の一部が知恩院に譲渡された。
江戸時代
「六阿弥」と称せられた塔頭六坊を持ち、遊山客に席を供し行楽の域となった。
明治4年
明治政府によって境内は東へ移され、塔頭六坊と寺地は上知され、円山公園造営地となった。
明治14年
長崎県の井上万吉が、六阿弥のひとつであった也阿弥を買い取り、弥阿弥ホテルを開業した。

撮影後記

 円山公園の東端の高台にひっそりと佇む古刹です。 いつも賑わう円山公園ですが、かつて長楽寺や安養寺の境内だった公園の東側まで来る人は限られます。 森閑とした雰囲気の料亭や料理旅館が点在し、池側とはまた違った散策ができます。
 本堂まで上ってくると、祇園の街並みを眼下に望むことができます。 平坦なイメージのあった円山公園も、ここまで来てみると結構な勾配があったことに気が付かされました。

更新履歴

2012年6月12日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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