南禅院

南禅寺発祥の地

臨済宗南禅寺の別院。亀山天皇の離宮であった禅林寺殿「上の宮」遺跡で、南禅寺発祥の地とされている。亀山法皇の作庭と伝わる庭園は、京都で唯一の鎌倉時代の池泉回遊式庭園で、京都三名勝史跡庭園のひとつである。

南禅院

南禅寺南禅院について

基本情報

寺号
南禅院(なんぜんいん)
宗派
臨済宗南禅寺派
寺格
南禅寺別院
創建
1287年(弘安十年)
開山
無関普門(むかんふもん) - 大明国師。
開基
亀山法皇
中興
桂昌院
駐車場
有料駐車場あり - 南禅寺駐車場利用。
交通機関
地下鉄蹴上駅徒歩9分、永観堂前バス停徒歩9分
住所
京都府京都市左京区南禅寺福地町86
サイト
南禅寺

概要

臨済宗南禅寺の別院で、南禅寺発祥の地とされる。 この地には亀山天皇の離宮 禅林寺殿があり、「上の宮」と「下の宮」に分かれていたが、「上の宮」に持仏堂を建立し「南禅院」と称したのが起源。 その後、亀山上皇が南禅院で落飾して法皇となり、禅林寺殿を禅寺に改め、80歳の無関普門(大明国師)を迎え、南禅寺が創建された。 江戸時代、徳川綱吉の母 桂昌院によって、現方丈などが再建された。 国の史跡名勝に指定されている庭園は、京都で唯一の鎌倉時代の池泉回遊式庭園で、京都三名勝史跡庭園のひとつ。 亀山法皇の作庭と伝わる。

見所

国史跡名勝
南禅院庭園 - 京都で唯一の鎌倉時代の池泉回遊式庭園で、京都三名勝史跡庭園のひとつ。亀山法皇の作庭と伝わる。
国重要文化財
方丈襖絵 164面 - 狩野養朴と子の如川と隋川の筆による。
絹本著色無関普門像
木造亀山法皇坐像 - 現存最古の天皇肖像彫刻。
木造一山一寧坐像 - 元の使節として来日し、鎌倉の建長寺第10世住持などを経て南禅寺第三世となった一山一寧(いっさんいちねい)の頂相彫刻。
宮内庁治定
亀山法皇廟所 - 庭園東南隅に建ち、法皇の遺言により分骨された遺骨が埋葬されている。
観光名所
方丈 - 1703年、桂昌院によって再建。内陣中央に亀山法皇御木造が安置されている。
御霊殿 - 亀山法皇坐像を安置。襖絵は狩野養朴の筆。

歴史

1264年
亀山天皇が、母の大宮院の御所として離宮 禅林寺殿を造営した。
1287年
禅林寺殿は、「上の宮」と「下の宮」に分かれていたが、「上の宮」に持仏堂を建立し「南禅院」と称した。
1289年
亀山上皇が、南禅院で落飾して法皇となった。
1291年
亀山法皇が、禅林寺殿を禅寺に改め、80歳の無関普門(大明国師)を開山として「龍安山 禅林禅寺(現在の南禅寺)」と号した。
1393年
火災で焼失後、北山御所寝殿が移築され再興された。
応仁の乱
兵火で以降荒廃した。
江戸時代初頭
以心崇伝によって再興された。
1703年
徳川綱吉の母 桂昌院によって、現方丈などが再建された。

撮影後記

 琵琶湖疏水の水路閣アーチを潜って、石段を上った一段高い場所にあります。 南禅寺の起源となった禅林寺殿は、「上の御所」と「下の御所」に分かれていたそうで、当院はその「上の御所」にあたります。 本坊を見下ろすように建っているのは、その遺構ということなのかもしれません。
 秋の風景ギャラリーに掲載した作品は、ピーク前に訪問したときのもの。 青紅葉も適度に残り、枝先が色付き始めた頃もいいものですね。 ここも、南禅寺の他の塔頭と同じく、南禅寺境内のようにメチャクチャ混雑するわけでもないので、よかったら立ち寄ってみてください。

更新履歴

2012年12月16日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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