滝口寺

悲恋の舞台

小倉山の麓、竹林に囲まれ森閑とした浄土宗寺院。平安時代、法然の弟子が開創した往生院(後の祇王寺)子院三宝寺の旧跡である。「平家物語」滝口入道と横笛の悲恋の舞台として知られ、新田義貞と妻の悲恋も残る。

滝口寺

滝口寺について

基本情報

山号寺号
小倉山滝口寺(おぐらざんたきぐちでら)
宗派
浄土宗
創建
平安時代末 - 往生院創建。
開基
良鎮(りょうちん)
本尊
阿弥陀如来
駐車場
駐車場なし
交通機関
嵯峨釈迦堂前バス停徒歩15分、嵯峨嵐山駅徒歩20分
住所
京都府京都市右京区嵯峨亀山町10-4

概要

小倉山の麓、竹林に囲まれ森閑とした浄土宗寺院。 法然の弟子 良鎮が開創した往生院(後の祇王寺)の子院三宝寺の旧跡である。 「平家物語」の平重盛家臣 滝口入道時頼と建礼門院の侍女 横笛の悲恋の舞台で、高山樗牛の名作「滝口入道」から昭和初期に号された。 本堂には三宝寺の遺物である滝口入道と横笛の木像が安置される。 滝口入道は、宮中の警衛に当たる滝口の武士であったが、建礼門院の雑仕女横笛を見そめて恋に陥った。 しかし、彼の父はその恋を許さず、19歳にして往生院に入り出家したのである。 横笛は、これを聞き往生院を訪ねるが、滝口入道は修業の妨げと合わず、横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良法華寺に出家したとも伝わる。 滝口入道は、後に高野聖となり、紀伊勝浦での平維盛入水に立ち合っている。 その他に、悲運の武将 新田義貞と妻の悲恋も残る。

見所

観光名所
本堂 - 茅葺き屋根の簡素な庵。
滝口入道と横笛の木像 - 本堂に安置。鎌倉時代後期作で三宝寺の遺物。
小松堂 - 平重盛(小松内大臣)が祀られている。
平家供養塔 - 滝口入道と平家一門の供養塔。
新田義貞の首塚 - 首が三条河原で晒しものにされるが、妻の勾当内侍(こうとうのないし)が密かに盗み出し、この地で生涯、夫を弔ったといわれる。
勾当内侍の供養塔 - 新田義貞の妻の供養塔。
横笛歌石 - 「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け」と刻まれている。滝口入道が修業の妨げと合わず、横笛が指を切り、その血で歌をかいて帰った石。

歴史

平安時代末
法然の弟子 念仏房良鎮上人が、往生院を創建したのが由来。念仏道場として栄え、多くの坊があったと伝わる。
近世
往生院(現 祇王寺)とその子院の三宝寺(当寺)だけが浄土宗の寺として残った。
明治時代初期
両寺とも廃寺となった。
昭和初期
祇王寺の再建に続いて復興され、歌人 佐佐木信綱博士が小説「滝口入道」にちなみ「滝口寺」と号した。

撮影後記

 祇王寺と隣接しているお寺さん。 今でこそ宗派こそ違いますが、元は同じ法然上人の弟子が創建した往生院であった兄弟寺です。 祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、清盛の心が離れてしまい尼僧として余生を送ったということでよく知られ、結構人気があります。 滝口寺も平家物語悲恋の寺ですが、まったくといっていいほど人気がないようで寂れています。 お話の内容は、こちらの方が心動かされるもので、新田義貞の妻の悲恋もあるので、よかったらどうぞ。

更新履歴

2011年11月12日
初版をアップロードしました。
2012年1月22日
ギャラリーに作品を4点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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