岩倉具視幽棲旧宅

王政復古の密議

岩倉具視が幽棲した旧宅で、国の史跡に指定されている。公武合体を進めた具視は、倒幕急進派の弾劾を受け岩倉村に蟄居した。幽棲中に倒幕派へと変更し、薩摩藩や朝廷内の同志たちが訪れ、王政復古の密議が行われた。

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅について

基本情報

名称
岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)
指定
国史跡
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
岩倉実相院バス停徒歩3分
所在地
京都府京都市左京区岩倉上蔵町100

概要

明治維新において王政復古に尽力した岩倉具視が、幕末の4年間を幽棲した旧宅で、国の史跡に指定されている。 公武合体を進めた具視は、皇女和宮の将軍家降嫁に際し、倒幕急進派の弾劾を受け、1862年(文久2年)に官職を辞し、剃髪して岩倉村に蟄居した。 1864年(文久4年)、大工の藤吉の居宅を購入してここに移住し、1867年(慶応3年)に洛中帰洛を許された。 幽棲中には、坂本竜馬、中岡慎太郎、大久保利通らが訪れ、王政復古の密議が行われた。 茅葺と瓦葺の二棟からなる簡素な平屋建建築で、具視の遺品や明治維新関係文書などを展示する対岳文庫が併設されている。

見所

国史跡
主屋(鄰雲軒) - 1864年の増築時に建てられた。次の間、座敷、玄関がある。座敷には具視の孫 東伏見宮妃周子筆「鄰雲軒」の額が掛けられている。
附属屋 - 1864年、岩倉具視が大工の藤吉の居宅を購入して初めここに移住した。台所、炊事場、居室3室、勝手口がある。
繋屋 - 1864年の増築時に建てられた。主屋と附属屋を繋ぎ、浴室と便所がある。
庭園 - 岩倉具視お手植えという松が立っている。
遺髪塚 - 岩倉具視遺髪碑、槇子夫人、次男 岩倉具定、3男 岩倉具経の碑。
国重要文化財
岩倉具視関係資料 1011点 - (京都市歴史資料館収蔵)。
国登録文化財
対岳文庫 - 岩倉具視の遺品や明治維新関係文書などを展示・収蔵するため、昭和3年に武田五一によって建設された。
市文化財
岩倉具視関係資料 109点 - (京都市歴史資料館収蔵)。

行事

7月20日
岩倉具視遺髪碑慰霊祭

歴史

1862年
岩倉具視が尊王攘夷派の台頭により辞官し、落髪して岩倉村に蟄居した。
1864年
現在地に幽棲し始めた。
1865年
尊攘派の松尾相永、藤井九成が訪れた。
1867年
坂本竜馬、中岡慎太郎、大久保利通、品川弥二郎らが訪れ、洛中帰洛を許された。
昭和3年
対岳文庫が建設された。
昭和7年
国の史跡に指定された。
平成25年
岩倉公旧蹟保存会から京都市が維持管理を引き継ぎ、一般公開が始まった。

撮影後記

 岩倉の実相院から南東方向に3分ほど歩いた場所にあります。 長年にわたり管理してきた財団法人「岩倉公旧蹟保存会」の解散に伴って京都市に寄付され、平成25年5月から市による一般公開が始まりました。
 岩倉具視が幽棲を始めた当初は、柱は傾き屋根からは雨漏りという惨状だったとか。 京都市歴史資料館に収蔵されている日記によれば、「あまりのひどさに、思わず涙がこぼれた。」と書かれているそうです。

更新履歴

2015年1月27日
初版をアップロードしました。

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