京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
PHOTOGRAPH.PRO
スマホでも閲覧できるようになりました
京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
名神高速・京都南インターの近く、京都御所の裏鬼門にあたり、方除けの神として信仰を集めている神社です。
和宮内親王が14代将軍・徳川家茂に嫁ぐときに、城南宮で方除・道中安全のご祈祷が行われ、現在は交通安全の神としても信仰されています。
ここの見物は、「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作氏による神苑「楽水苑」。
社殿を取り囲むように広がっていて、ぐるっと巡ると日本庭園の作庭様式の移り変わりを見ることができます。
伏見の地下水が引き入れられた遣水(小川)や池が広がる庭には、「源氏物語」に登場する約100種類もの植物が栽培されているので、いつ来ても楽しめます。
また、写真愛好家の方には、「曲水の宴」などの特別な催しがなければ、非常に空いていますので、ゆっくり撮影できます。
平安京遷都にあたり、王城の南の守護神として、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る。 鴨川の水郷の景勝地でもあり、貴族の別荘地であった。 平安時代後期、白河上皇が院政を行うために城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、鳥羽離宮の鎮守社とされた。 また、離宮は方違(かたたが)えの宿所や熊野詣での精進所となり、方除の信仰が高まった。 1221年、後鳥羽上皇は、城南宮の祭事の城南流鏑馬と称して兵を集め、承久の乱を起こす。 皇室の崇敬厚く、孝明天皇は攘夷祈願に行幸された。 1868年、城南宮の参道に薩摩藩の大砲が並べられ、鳥羽・伏見の戦い勃発の地となったことは名高い。 明治10年、式内社「真幡寸神社」に比定され、「真幡寸神社」と改称する。 昭和43年、社名を「城南宮」に戻し、「真幡寸神社」を境内摂社として新たに社殿を建立し奉祀される。 神苑「楽水苑」は「源氏物語 花の庭」と称され、春秋に「曲水の宴」が雅やかに行われる。
住所: 京都市伏見区 中島鳥羽離宮町7
フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。