無鄰菴

山縣有朋の別荘

山県有朋が京都に於ける別荘として明治29年に造営したもので、国の名勝庭園である。 小川治兵衛が作庭し、東山を借景として琵琶湖疏水から泉水を引き入れている。当地で日露戦争開戦の「無鄰菴会議」が行われた。

無鄰菴

無鄰菴について

基本情報

名称
無鄰菴(むりんあん)
指定
国名勝(無鄰菴庭園)
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄蹴上駅徒歩7分
所在地
京都府京都市左京区南禅寺草川町31
サイト
名勝無鄰菴

概要

元老 山県有朋が、京都に於ける別荘として、明治27年から29年にかけて造営したもので、日本庭園は国の名勝に指定されている。   名前の由来は、山県が幕末に郷里の長州下関に結んだ草庵「無鄰菴」で、隣家がない閑静なことによる。 名勝庭園は山県自らの設計・監督により、造園家小川治兵衛が作庭した池泉回遊式庭園で、明治時代の代表的な庭園である。   面積3,135平方メートル、東山を借景として琵琶湖疏水から泉水を引き入れている。 庭園の片隅に建つ洋館は、日露戦争開戦前に、山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の面々で「無鄰菴会議」が行われた場所としても知られる。

見所

国名勝
無鄰菴庭園 - 小川治兵衛(植治)作庭の池泉回遊式庭園で、山縣有朋の三名園のひとつ。面積3,135平方メートル。東山を借景とし、琵琶湖疏水から引き入れて三段の滝、池、芝生を配している。
観光名所
母屋 - 明治29年の建立で数寄屋造り。会議等に2階を貸し切ることができ、日本庭園を一望できる。
茶室 - 薮内流燕庵を写しているといわれる。茶会等に貸し切ることができる。
洋館 - 明治31年の建立で煉瓦造り。新家孝正の設計。日露戦争開戦前、元老 山縣有朋、政友会総裁 伊藤博文、総理大臣 桂太郎、外務大臣 小村寿太郎の面々で「無鄰菴会議」が行われた。

歴史

幕末
奇兵隊の山県有朋は、下関の東行庵に草庵を建て「無鄰菴」と名付けた。
明治24年
山県有朋は京都木屋町二条に別荘「無鄰菴」を購入した。
明治27年
現在地に新たな「無鄰菴」の造営に着手したが、日清戦争の勃発で一時中断した。
明治29年
庭園が完成した。
明治31年
洋館が落成した。
明治36年
洋館で無鄰菴会議が行われた。
昭和16年
京都市に寄贈された。
昭和26年
庭園が国の名勝に指定された。

撮影後記

 「山県三名園」のひとつだそうです。 ちなみに他の二つというと、東京小石川の本邸「椿山荘庭園」、晩年を過ごした小田原の別邸「古希庵庭園」になります。 さすがに長州陸軍閥の親玉だけあって、スケールの大きな日本庭園ばかりです。
 また、京都の別邸「無鄰菴」は、当初は木屋町二条の高瀬川の源流付近にあった高瀬川二条苑に建設されました。 現在はレストラン「がんこ高瀬川二条苑」となっています。 

更新履歴

2015年1月26日
初版をアップロードしました。

無鄰菴紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野