蛸薬師堂と妙心寺

兄弟寺

新京極にある永福寺は、「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来石像が安置され、蛸薬師堂の通称で知られる。戒めに背いて病気の母親に好物のタコを買う孝行僧の霊験に由来する。蛸薬師に隣接して兄弟寺の妙心寺も建っている。

蛸薬師堂

蛸薬師堂について

基本情報

山号寺号
浄瑠璃山永福寺(じょうるりざんえいふくじ)
別称
蛸薬師堂
宗派
浄土宗西山深草派
創建
伝 1181年(養和元年)
開基
伝 林秀
本尊
薬師如来
札所
京の通称寺霊場 第18番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
阪急河原町駅徒歩5分、四条河原町バス停徒歩5分
住所
京都府京都市中京区東側町503

概要

正しくは浄瑠璃山林秀院永福寺と号すが、「蛸薬師堂」の通称で知られる新京極にある寺である。 本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像が安置され、病気平癒祈願の参拝者が後を絶たない。 蛸薬師堂に隣接して、永福寺の歴史とも関係する兄弟寺の妙心寺が建っている。 豊臣秀吉による都市改造により当地に移転する前は、二条室町に寺基があった。 付近に御池通の由来となった池があったことから、水上薬師または澤薬師と呼ばれ、これが転訛して「蛸薬師」となったと考えられている。 一方、寺伝による由緒は、1181年(養和元年)二条室町の林秀が、比叡山の薬師如来の夢告により、最澄が彫られた石仏の薬師如来を与えられ、六間四面の堂に奉祀して永福寺を創建した。 建長年間(1249~1256年)、永福寺の僧 善光が、戒めに背いて病気の母親に好物のタコを買う孝行譚の霊験に由来し、本尊の薬師如来を「蛸薬師」と称されるようになったと伝わる。

見所

観光名所
蛸薬師堂(本堂) - 本尊薬師如来石像(蛸薬師)を安置している。善光という僧が、戒めに背いて病気の母親に好物のタコを買う孝行譚の霊験に由来し、「蛸薬師」と呼ばれている。病気平癒、タコ・イボ取りなどの加護がある。
鯉地蔵 - 洛陽四十八願所(京都四十八願寺)第33番。地蔵尊を信仰している者が、大切な文箱を誤って鴨川に流してしまい、川中より鯉が現れ文箱を口にくわえて届けてくれた。帰宅して地蔵尊に参ると、その全身が濡れていたという逸話。
阿弥陀堂(妙心寺) - 隣接して法性山妙心寺がある。阿弥陀堂と呼ばれる。深草に創建された「円福寺」がルーツ。明治16年に尾張松平家ゆかりの愛知県岡崎市の「妙心寺」と寺号交換を行った。開山は室町時代に「永福寺」の隣に住していた松平秦親長男の教燃良頓。

行事

毎月8日
大般若会
毎月24日
地蔵会
1月1日
修正会
1月8日
初薬師
12月8日
終薬師
12月31日
大根炊き

歴史

1181年
二条室町の林秀が、比叡山の薬師如来の夢告により、最澄が彫られた石仏の薬師如来を与えられ、六間四面の堂に奉祀し、「永福寺」と称したと伝わる。
1249~1256年
建長年間、永福寺の僧 善光の霊験により本尊の薬師如来を「蛸薬師」と称されるようになったと伝わる。
1251年
円空立信が深草に「円福寺」を創建した。
室町時代
深草の「円福寺」が、五条坊門猪熊、続いて室町姉小路北(中京区円福寺)に移った。
1441年
「永福寺」が後花園天皇の勅願寺となった。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1591年
豊臣秀吉による都市改造により「円福寺」と「永福寺」が合併して現在地に移った。
1788年
天明の大火により焼失した。
明治16年
「円福寺」が愛知県岡崎市の「妙心寺」と寺号交換を行った。

撮影後記

 新京極の繁華街、蛸薬師通のドン詰りにある寺で、いつも賑わっています。 それにしても、ここの住職?は感じが良いとはいえない。 今まで数千の寺院にお邪魔しましたが、こんな胸糞悪くなった寺ははじめて。

更新履歴

2015年10月12日
初版をアップロードしました。

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