月真院

御陵衛士屯所跡

臨済宗建仁寺派に属する高台寺の塔頭寺院である。1616年、北政所ねねの従弟 久林玄昌が、津和野藩主 亀井氏の寄進によって創建された。幕末、御陵衛士であった伊東甲子太郎らが屯所し、「高台寺党」と称された。

月真院

月真院について

基本情報

山号寺号
叢林山月真院(そうりんざんげっしんいん)
宗派
臨済宗建仁寺派
寺格
高台寺塔頭
創建
1616年(元和二年)
開山
久林玄昌
開基
亀井政矩
本尊
千体地蔵菩薩
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
東山安井バス停徒歩5分
住所
京都府京都市東山区下河原町528

概要

臨済宗建仁寺派に属する高台寺の塔頭寺院である。 1616年(元和2年)、北政所ねねの従弟 久林玄昌が、津和野藩主 亀井氏の寄進によって創建され、亀井家の菩提寺となった。 1867年(慶応3年)、勤王主義者で孝明天皇の御陵衛士であった伊東甲子太郎ら15名が屯所し、「高台寺党」と称された御陵衛士屯所となった。 しかしながら新撰組との対立は深く、伊東は謀殺、他の衛士らも斬られて活動は終った。 庭園には織田有楽斎お手植えと伝わる樹齢350年のツバキがあり、市の保存樹に指定されている。

見所

観光名所
本堂 - 庭園には織田有楽斎お手植えと伝わる樹齢350年の有楽椿があり、市の保存樹に指定されている。
御陵衛士屯所跡の標 - 1867年(慶応3年)、勤王主義者で孝明天皇の御陵衛士であった伊東甲子太郎ら15名の高台寺党が屯所した。
墓地 - 新橋-横浜間の鉄道建設を建議し、「鉄道先覚者」と呼ばれる谷暘卿の墓。

歴史

1616年
北政所の従弟 久林玄昌が、津和野藩主 亀井氏の寄進によって創建され、亀井家の菩提寺となった。
1867年
勤王主義者で孝明天皇の御陵衛士であった伊東甲子太郎ら15名が屯所し、「高台寺党」と称された。
近代
無住となり荒廃した。
昭和28年
笠原了承彦が住持となり再興した。

撮影後記

 ねねの道に面して、高台寺と圓徳院の間にある小さな塔頭です。 普段は公開塔頭ではありませんが、週末になるとお抹茶付きで拝観でき、本堂が茶席となるようです。 また、以前は宿坊もやっていたようで、外国人の方もよく利用していたそうです。 週末のこの一帯は、非常に混み合い躊躇してしまいますが、一度拝観してみなくては。

更新履歴

2015年1月31日
初版をアップロードしました。

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