崇道神社

早良親王

上高野の産土神。平安時代貞観年間、早良親王(崇道天皇)の霊を鎮めるために創建された御霊社がはじまりとされる。裏山にある小野妹子の子 毛人の墓からは、江戸時代に銅製墓誌が発掘され、国宝指定されている。

崇道神社

崇道神社について

基本情報

社名
崇道神社(すどうじんじゃ)
創建
859年~877年(貞観年間)
主祭神
早良親王(崇道天皇)
旧社格
村社
例祭
5月5日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
叡電三宅八幡駅徒歩8分、上橋バス停徒歩2分
住所
京都府京都市左京区上高野西明寺山町34

概要

上高野(高野村)の産土神。 貞観年間、桓武天皇の弟 早良親王の霊を鎮めるために都の鬼門にあたる高野の地に創建された御霊社がはじまりとされる。 早良親王は、長岡京で起こった藤原種継暗殺事件に連座され、乙訓寺に幽閉された後、淡路に流される道中の大山崎で憤死した。 桓武天皇は親王に「崇道天皇」の諡を贈り怨霊を鎮めた。 御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。 裏山にある小野妹子の子 毛人の墓からは、江戸時代に銅製墓誌が発掘され、「金銅小野毛人墓誌」として国宝指定されている。

見所

国宝
金銅小野毛人墓誌 附銅函 - 奈良時代の墓誌。江戸時代、神社背後の山中で発見された。(京都国立博物館寄託)
観光名所
本殿 - 一間社流造。
拝殿
五味藤九郎之碑 - 高野川から上高野山麓の臣岩を貫通させ上高野への水路を開削した。
小野毛人の墓 - 裏山に石碑が立つ。江戸時代に国宝 金銅小野毛人墓誌が発掘された。
小野神社 - 摂社。小野妹子、小野毛人を祀る。以前は里堂の南方に石垣があり、ズンショの森と祠があった。
出雲高野神社 - 摂社。玉依姫(タマヨリビメ)を祀る。
伊多太神社 - 摂社。式内社。伊多太大神、小野毛人を祀る。もとは北西の大明神町に祀られていた。
末社 - 天照皇大神宮、豊受皇大神宮、日吉社、春日社、天満宮、八幡宮。
里堂 - 高野川の向こう集落にある里堂。神輿庫になっている。

祭事

毎月1日
月次祭
1月1日
元旦祭
2月3日
節分祭
2月17日
祈年祭
5月5日
伊多太神社例祭
6月30日
花摘祭
10月17日
眞榊祭・神忌祭、小野神社例祭
11月23日
新嘗祭
12月5日
火焚祭
12月31日
除夜祭

歴史

785年
早良親王(桓武天皇の弟)が長岡京で起こった藤原種継暗殺事件に連座され、乙訓寺に幽閉された後、淡路に流される道中の大山崎で憤死した。桓武天皇は親王に「崇道天皇」の諡を贈り怨霊を鎮めた。
859年~877年
貞観年間、神泉苑での御霊会で崇道天皇をはじめ、藤原仲成、橘逸勢らの御霊が祀られ、都の鬼門に当たり北陸への要衝となる高野の地に、御霊社として親王を祀った。
1613年
背後の山中で、国宝「金銅小野毛人墓誌」が発掘された。
1673年
銅製墓誌函が作られた。
1697年
再び埋納された。
大正2年
小野毛人の墓の調査に伴い再び発掘された。
大正4年
近隣にあった式内社とされる伊多太神社・小野神社・出雲高野神社が合祀された。

撮影後記

 蓮華寺の隣に鎮座する古社。 境内は常緑樹が林立し森閑として薄暗く、まさに怨霊漂う御霊社の雰囲気があります。 参拝者も少なく、夕闇迫るころになると、野生のサルたちが神社の社殿や隣にある某寺の境内を我が物顔で飛び跳ね、屋根から枝へ枝から屋根へと飛び移り、ギャーギャーと遊んでいます。 餌付けでもしてるのでしょうか?

更新履歴

2012年6月19日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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