福成寺

福成寺規式

樫原にある臨済宗建仁寺派の禅寺。長岡京遷都の際、鬼門塞ぎとして創建され、鎌倉時代に建仁寺の広済により中興された。禅師が定めた福成寺規式(重文)は、当時の禅寺運営を具体的に示す史料として大変貴重である。

福成寺

福成寺について

基本情報

山号寺号
宝珠山福成寺(ほうじゅうざんふくじょうじ)
宗派
臨済宗建仁寺派
創建
伝 784年(延暦三年)
開基
桓武天皇
中興
広済(高山慈照) - 建仁寺26世。
本尊
十一面観音
札所
洛西三十三所観音霊場 第31番
駐車場
駐車場なし
交通機関
三宮バス停徒歩5分
住所
京都府京都市西京区樫原内垣外町24

概要

樫原にある臨済宗建仁寺派の禅寺。 桓武天皇による長岡京遷都の際、鬼門塞ぎの鎮護道場として創建されたと伝わる。 鎌倉時代、建仁寺26世 広済禅師により禅宗寺院として再興された。 応仁の乱の兵火で荒廃し、現在は江戸時代後期に再建された本堂と山上に蔵王権現堂が立っている。 本堂には、本尊十一面観世音立像、右脇待に藤原時代作と伝わる大日如来坐像を安置。 広済禅師が、寺内での八箇条からなる寺院規式を定めた「福成寺規式」は、当時の禅寺の運営を具体的に示す史料として貴重で、国の重要文化財に指定されている。

見所

国重要文化財
福成寺規式 - 1336年の古文書。広済禅師(高山慈照)が、寺内での勤行や坐禅、什物の扱いや問題が起きた時の評議についてなど八箇条からなる寺院規式。当時の禅寺の運営を具体的に示す史料として貴重。(建仁寺塔頭 霊洞院所蔵)
観光名所
本堂 - 江戸時代後期の再建。江戸時代作の本尊十一面観世音立像、右脇待に藤原時代作と伝わる大日如来坐像を安置。
庭園 - 緑苔に飛石などを配した枯山水式庭園。
蔵王権現堂 - 高台にある江戸時代後期の御堂。「ひきずり権現」とも称される。

歴史

784年
桓武天皇による長岡京遷都の際、鬼門塞ぎの鎮護道場として創建されたと伝わる。
鎌倉時代
建仁寺26世 広済により禅宗寺院として再興された。
応仁の乱
兵火で焼失。
1830~1844年
天保年間、本堂や蔵王権現堂が再建された。

撮影後記

 樫原(かたぎはら)にある禅寺で、四天王寺式伽藍が確認された樫原廃寺跡のすぐ南側に立っています。 樫原廃寺は、伽藍からも白鳳時代の寺跡ともいわれ、この寺院も、禅寺ではありますが、創建自体は平安時代より前に遡ると伝わっている古刹です。
 スペースの都合で書けなかった高台にある蔵王権現堂の「ひきずり権現」とよばれる縁起をここで。 もとは、西側の一本松塚古墳の山上にあったそうです。 ある朝、権現さまが朝日を受けて光り輝き、麓の街道を通っていた武士が眩しくて馬から落馬してしまったため、現在地まで引き摺り下ろされたというお話からだそうです。

更新履歴

2013年1月9日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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