慈眼寺

明智光秀

京北周山町にある曹洞宗寺院で、明智光秀ゆかりの寺として知られる。釈迦堂には市文の明智光秀像が安置される。逆臣の汚名を着せられていたため、木像は墨で塗りつぶされ、光秀の徳を慕う民が密かに祀ったと伝わる。

慈眼寺

慈眼寺について

基本情報

山号寺号
慧日山慈眼寺(えにちさんじげんじ)
別称
慈眼禅寺
宗派
曹洞宗
創建
伝 中世
開山
自興 - 伝法開山。
本尊
観世音菩薩
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
周山バス停徒歩3分
住所
京都府京都市右京区京北周山町上代4

概要

京北にある曹洞宗の禅寺。 本能寺の変により明智光秀が築城の志を遂げることができなかった周山城の山裾に位置し、光秀ゆかりの寺として知られる。 釈迦堂には、市文の木造明智光秀坐像が安置されている。 織田信長の命で丹波攻略に訪れた光秀は、悪政を施していた宇津氏から民を開放し、光秀の徳を慕う村民が密かに祀った木像と伝わる。 逆臣の汚名を着せられていたため、木像は墨で塗りつぶされ、金具も外され、明智家の桔梗紋も隠されている。 秋には市指定天然記念物の大銀杏が黄葉する。

見所

市文化財
木造明智光秀坐像 - 光秀が建立したという密厳寺にあったが、明治27年に当寺に移された。織田信長の命で丹波攻略に訪れた光秀は、悪政を施していた宇津氏から民を開放し、光秀の徳を慕う村民が密かに祀ったと伝わる。逆臣の汚名を着せられていたため、木像は墨で塗りつぶされ明智家の桔梗紋が隠され、金具も外された。
慈眼寺のイチョウ - 幹周3.8m、樹高30mの公孫樹の巨樹。雌木で銀杏が多く採取される。
観光名所
本堂 - 本尊の聖観世音菩薩立像、脇侍に毘沙門天と地蔵菩薩を安置する。
開山堂 - 格子天井に182枚の花絵の天井画が描かれている。
釈迦堂 - 明治27年に密厳寺から移築。女性の守り本尊「うすしまさん」と称される烏枢沙摩(うすさま)明王像、厨子内に憤怒の木造明智光秀坐像を安置。

歴史

中世
草創されたとも伝わる。
1670年
功山花心が再興したと伝わる。
1776年
本山の永林寺4世 自興が伝法開山と称した。
明治27年
川向いの周山観音寺山の廃寺となった真言宗密厳寺から釈迦堂を移築した。
昭和42年
本堂が再建された。

撮影後記

 上京区の七本松通に同寺号の曹洞宗禅院があるため、山門に掲げられた「慈眼禅寺」に倣いました。 上京の方は、山号を福聚山と号し、道元が京都に創建した三か寺の一つとも伝わる禅刹です。
 前回、弓削にあるしだれ桜で有名な福徳寺をアップしましたが、明智光秀が周山城を造営した際、城の用材に充てるため破却された寺院であります。 光秀と云えば、日本中で逆臣の汚名を着せられ、おまけに付近の寺社は、こういった経緯を持つため、逆賊扱いで快く思っていないはずです。 しかし、ここの駒札には、四代にわたって悪政を働いていた宇津氏を滅ぼしてくれた光秀を、英雄のように記述してあったのが印象的です。

更新履歴

2013年1月12日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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