二条城

大政奉還の舞台

徳川家康が築城し、徳川家光によって大改修された平城で、世界文化遺産に登録されている。また、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の舞台となり、徳川幕府の栄枯盛衰を象徴する城である。

二条城

二条城について

撮影後記

 撮影に関することではないのですが、地図を注意深く見ると、二条城周辺だけ僅かにナナメっているのがわかりますか。 京都市で車をよく運転する人なら、丸太町通のあの急カーブがわかりやすい。 なんでも、江戸時代の築城に際して、南蛮からもたらされた磁石を使ったかららしいのです。 多分、コンパスが真北を差さない(偏角)を知らなかったからだと思います。 それに対し、方位磁針のないそれ以前の京都の町割りが、ほぼ正確な東西南北を向いていることも興味深いです。 その時代時代に最先端の道具があっても、中途半端な知識では無用の長物ということでしょうか。 まさに私に当てはまります、はい。
 なお、二条城には、現在(徳川家)の城郭と、室町幕府、織田信長による旧二条城(場所は違う)もあって、旧二条城の石垣が城内に復元保存されています。 下の概要・歴史では現在の二条城のみについて書きました。

概要・歴史

二条城は、徳川家康が、京都御所の守護と将軍宣下に伴う賀儀の宿泊所として造営し、徳川家光によって伏見城の遺構を移すなどして1626年に完成した平城。 また、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。 「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。 1601年、町家の立ち退きを開始し、築城に取り掛かった。 1603年、落成し、徳川家康は、伏見城において征夷大将軍補任の宣旨を受け、慣例に基づく「拝賀の礼」を挙行するために入城し、御所への行列に出発した。 この慣例は、四代将軍・徳川家綱以降は行われなくなった。 以降、幕府の儀典の場として利用された。 1611年、二の丸御殿において、徳川家康と豊臣秀頼の二条城会見が行われ、このとき豊臣家を滅ぼすことを決意したともいわれる。 大坂冬の陣では、徳川家康の本営となり、二条城から大坂へ出陣した。 1624年、徳川家光が将軍の代、後水尾天皇の行幸を迎えるため、城域が西側に拡大され大改築が始まった。 層塔型五層の天守閣が新造され、大御所・徳川秀忠の本丸御殿が建立され、将軍・徳川家光のための二の丸御殿の大改造が行われた。 1626年、天守閣、本丸、二の丸が完成し、後水尾天皇の二条城の行幸が行われ、盛大な宴が催された。 将軍・家光の頃が二条城が最も整備されていた時代で、家光以降将軍は上洛することもなくなり、幕末までの約230年間、歴史の表舞台から姿を消した。 幕末まで、暴風雨、二度の大地震での損傷、落雷による天守焼失、大火の飛び火で本丸御殿焼失などし、再建されなかった。 1863年、14代将軍・徳川家茂の上洛を迎えるため、荒れ果てていた二条城の改修が行われ、二の丸御殿が修復され、本丸に仮御殿が建てられた。 1866年、二条城の幕閣によって次期将軍は一橋慶喜と決定されるが、慶喜は将軍就任を拒絶し、幕府や朝廷から度重なる説得が行われ、年末になりようやく、二条城において第15代将軍拝命の宣下を受けた。 1867年、徳川慶喜が宿所を若狭小浜藩邸から二条城に移した。 同年10月、二条城の二の丸御殿大広間にて、大政奉還、将軍職返上、12月には朝廷より辞官納地命令が二条城に伝達された。 1868年、鳥羽・伏見の戦いが勃発し、朝廷(新政府)の命を受けた議定・徳川慶勝に引き渡され、太政官代が設置された。 同年、太政官代は宮中に移転し、京都府庁として活用された。 明治6年、陸軍省の所管に移された。 明治17年、宮内省の所管となり「二条離宮」と改称された。 明治18年、京都府の新庁舎が完成移転された。 明治27年、京都御苑脇にあった八条宮(桂宮)本邸が、本丸へ移築され本丸御殿となり本丸庭園が造成された。 昭和14年、二条離宮が廃止され、京都市に下賜された。 文化財として、二の丸御殿6棟(車侍及び寄遠・式台・大広間・蘇鉄之間・黒書院・白書院)が国宝に指定されている。 京都を代表するツバキ、ウメ、サクラの名所でもある。

所在地: 京都府 京都市中京区二条通堀川西入二条城町

更新履歴

2011年8月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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