正伝寺

血天井

鎌倉時代創建の臨済宗南禅寺派の禅刹。本堂は、伏見城御成殿を移建したもので、伏見城で自刃した徳川方の血痕が血天井に残る。本堂東側には、比叡山を借景に小堀遠州作庭といわれる白砂敷の平庭が広がる。

正伝寺

正伝寺について

基本情報

山号寺号
吉祥山正伝護国禅寺(きちじょうざんしょうでんごこくぜんじ)
宗派
臨済宗南禅寺派
創建
1268年(文永5年)
開山
兀庵普寧(ごったんふねい)
開基
東巌慧安(とうがんえあん)
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
神光院前バス停徒歩15分
住所
京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72

概要

鎌倉時代創建の臨済宗南禅寺派の禅刹。 本堂は、伏見桃山城の御成殿を移建したもので、狩野山楽筆の襖絵とともに国の重要文化財に指定されている。 方丈広縁の血天井は、伏見城に立て籠もった徳川方の鳥居元忠ら1200人が自刃し血痕が残る床板を天井としたものである。 また、方丈前庭は「獅子の子渡しの庭園」と称され、小堀遠州の作庭といわれる伏見城の庭園から移建したもの。 サツキの刈り込みが七五三調に配され、比叡山を借景にした白砂敷平庭の枯山水庭園である。

見所

国重要文化財
本堂 - 1653年、伏見桃山城の御成殿を移建。方丈広縁の血天井は、伏見城に立て籠もった徳川方の鳥居元忠ら1200人が自刃し血痕が残る床板を天井としたもの。
紙本墨画淡彩楼閣山水図 58面 - 狩野山楽筆。
紙本著色草花図 3面 - 狩野山楽筆。
紙本金地著色菓子図 4面 - 狩野山楽筆。
絹本著色兀庵和尚像靖庵筆 - (京都国立博物館寄托)
絹本著色兀庵和尚像 - (京都国立博物館寄托)
東巌和尚蒙古降伏祈祷文 1幅1巻 - (京都国立博物館寄托)
先聖先賢聖道一轍義東巌慧安筆 - (京都国立博物館寄托)
東巌和尚賜号勅書 - (京都国立博物館寄托)
九条袈裟 附:白地幸菱文綾袈裟包 - (京都国立博物館寄托)
九条袈裟 附:黄地花唐草文錦袈裟包 - (京都国立博物館寄托)
市名勝
庭園 - 「獅子の子渡しの庭園」と称される。小堀遠州の作庭といわれる伏見城の庭園から移建したもの。サツキの刈り込みが七五三調に配され、比叡山を借景にした白砂敷の平庭。

歴史

1268年
東巌慧安が、師の兀庵普寧を開山として迎え、烏丸今出川に創建したのが始まりとされる。
その後、比叡山延暦寺の衆徒によって破壊された。
1282年
賀茂社の社家 森経久が、西賀茂の地に荘園を寄進して書道伽藍を造営し復興した。
室町時代
後醍醐天皇の勅願所となり、足利義満の祈願所ともされ、十刹に加えられた。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
安土桃山時代
豊臣秀吉、徳川家康の援助を受け復興された。
江戸時代
塔頭が五ヶ寺あった。

撮影後記

 五山送り火「舟形」のある舟山南麓にある禅刹です。 拝観自体は、秋に一度だけお邪魔しただけですが、この付近は私にとっては馴染み深い場所です。 撮影条件が折り合わない日時は、近くの公園横の道路に停車して、車内でノートパソコン広げデスクワークに励んでいます。
 ここは、比叡山を借景にした庭園が有名なので、市中から比叡山が顔を出している日に拝観した方がよいでしょう。 静かな寺院ですので、縁側に腰を下ろしてゆっくりできます。

更新履歴

2012年6月7日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛北から移動しました。

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