補陀洛寺

小町寺

静市にある天台宗補陀洛寺は、謡曲「通小町」で小野小町終焉の地とされ、「小町寺」と通称される。はじめ静原町に創建されたが中世に廃絶し、市原町に再興された。境内には小町供養塔や小町老衰像を安置する。

小町寺

小町寺について

基本情報

山号寺号
如意山補陀洛寺(にょいざんふだらくじ)
別称
小町寺
宗派
天台宗
創建
945年(天慶8年)
開山
延昌 - 十五代天台座主。
開基
清原深養父
本尊
阿弥陀如来
札所
京の通称寺霊場 第34番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
小野寺バス停すぐ
住所
京都府京都市左京区静市市原町1140

概要

静市市原町にある天台宗補陀洛寺は、謡曲「通小町」で小野小町終焉の地とされ、「小町寺」と通称される。 静市は小野氏の領地であり、晩年の小町は父親が住んでいた静市静原町の荒れ果てた生家に身を寄せ、朽木の倒れるように亡くなった。 小町の遺体は弔う人もいなく、風雨にさらされて髑髏化していったと謡われる。 945年(天慶8年)、静原の地に天台座主 延昌の発願により、清原深養父の山荘を寺にしたのが起源とされる。 中世に廃絶したが、市原の現在地に名刹を継いで再興された。 本堂には絶世の美女と謳われた小町像とはかけ離れた小野小町老衰像を安置する。 他に小町の供養塔や小町のもとに百夜通いしたという深草少将の供養塔などがある。

見所

観光名所
本堂 - 平成11年の再建。平安時代作という阿弥陀三尊像と小野小町老衰像を安置。
楊柳観音堂 - 昭和59年の建立。
小野小町供養塔 - 鎌倉時代後期の五重層塔。
小野皇太后供養塔 - 鎌倉時代後期の宝篋印塔。後冷泉天皇皇后 小野皇太后の山荘が営まれていた地。
深草少将供養塔 - 江戸時代中期の宝篋印塔。小町と深草少将の悲恋伝説に基づいて建立。
小町姿見の井戸 - 名水として知られていたが枯れている。
穴芽の薄 - 小野小町の遺体から生えてきたといわれるススキ。
十三本檜 - 13本の株立ち状の大ヒノキ。

歴史

900年頃
小野小町が父親が住んでいた静原で余生を過ごし亡くなったと伝わる。
945年
静原の地に天台座主 延昌の発願により、清原深養父の山荘を寺にしたと伝わる。
959年
「補陀洛寺」と号された。
962年
御願寺となった。
中世
廃絶した。
近世
南方の市原の現在地に再興された。

撮影後記

 鞍馬街道の篠峠にある寺で、この付近には他にも、静林寺、恵光寺、大念寺と多くの寺が集まり、一帯の葬送霊域となっているようです。 正式な寺号は「補陀洛寺」と号します。 鎌倉にもあるのですが、南方の補陀洛浄土に基づくものかと思われます。

更新履歴

2015年2月23日
初版をアップロードしました。

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