青蓮院

天台宗三門跡

天台宗三門跡寺院のひとつ。後桜町上皇の仮御所となったことから「粟田御所」とも称され、境内が国の史跡に指定されている。第3代門主の慈円は、親鸞の得度を当院で行ったことから、浄土真宗の聖地にもなっている。

青蓮院

青蓮院について

基本情報

寺号
青蓮院(しょうれんいん)
別称
青蓮院門跡、旧粟田御所
宗派
天台宗
創建
1150年(久安六年)
開山
行玄
開基
最澄
本尊
熾盛光如来
札所
近畿三十六不動尊 19番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
神宮道バス停徒歩3分、地下鉄東山駅徒歩5分
住所
京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
サイト
青蓮院

概要

天台宗三門跡のひとつで、代々入道親王や法親王が門主を務めた門跡寺院。 天明の大火で、後桜町上皇の仮御所となったことから「粟田御所」とも称され、境内が国の史跡に指定されている。 平安時代、比叡山東塔にあった天台三千坊のひとつ「青蓮坊」が由来。 鎌倉時代に、京都での里坊として現在地に建立された。 第3代門主の慈円は、親鸞の得度を当院で行ったことから、浄土真宗の聖地にもなっている。 境内には、宸殿、小御所、熾盛光堂等の建物と池泉回遊式庭園があり、寺宝として国宝 青不動明王を有す。 境内のクスノキの巨樹は京都市天然記念物。

見所

国宝
不動明王ニ童子像 - 平安時代後期の仏画。通称「青不動」で、園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動とともに三不動のひとつ。本堂に複製展示。(奈良国立博物館寄託)
国史跡
青蓮院旧仮御所 - 江戸時代、御所の仮御所となったため、境内が国の史跡に指定されている。
本堂(熾盛光堂) - 秘仏本尊 熾盛光(しじょうこう)如来の曼荼羅を安置。国宝 青不動明王画像(複製)、不動明王、薬師如来及び日光月光菩薩、十二神将、歓喜天、毘沙門天・愛染明王などの仏像が安置されている。
宸殿 - 門跡寺院特有な建物で、有縁の天皇や歴代門主の尊牌を祀る。徳川家康の孫 東福門院の御所を移築し、明治26年の焼失後の復興。「お得度の間」は、親鸞聖人が第三代門主 慈圓により得度をした間。濵松の間には障壁画浜松図(重文)がある。
小御所 - 後桜町上皇も仮御所とした建物。京都御所の仮御所として使用された建物を明治26年の焼失後に復興。
華頂殿 - 客殿(白書院)で、築山泉水庭の眺めが見事。
大玄関(車寄せ) - 高貴な方の正式の玄関。孝明天皇御使用の輿が陳列されている。
植髪堂(うえかみどう) - 親鸞聖人が慈円のもと当院で得度した際の剃髪が祀られている。
長屋門 - 明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築。
四脚門(御幸門) - 明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築。
宸殿前庭 - 一面杉苔に覆われ、右近の橘と左近の桜が植えられている。もとは白砂が敷かれていた。
相阿弥の庭 - 室町時代の相阿弥の意匠とも伝わる。粟田山を借景に、龍心池を中心とした池泉回遊式庭園。池に跨龍橋が架かり、洗心滝がある。豊臣秀吉の寄進と伝わる一文字型手水鉢が置かれている。
霧島の庭 - 小堀遠州の作庭ともいわれる。霧島躑躅(キリシマツツジ)が植えられ、後桜町上皇の御学問所として用いられた書院式茶室の好文亭が平成7年に復元された。
国重要文化財
金地着色浜松図 17面 - 宸殿浜松の間の障壁画。狩野貞信筆と伝えられる。昭和37年、拝観者により切り取られ1面が行方不明。
往生要集 - 源信が、浄土教の観点より極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書。
夜鶴庭訓抄 - 平安時代末期に藤原伊行によって著された現存最古の書論書。
木造兜跋毘沙門天立像
紙本墨書後光厳院宸翰消息
紺紙金泥大灌頂光明真言
円仁自筆書状
円仁入唐請来書目録
観音応験記
皇慶附嘱状
皇慶起請
慈円一期思惟記
慈円自筆四天王寺聖霊院願文案
青蓮院吉水蔵聖教類
八家秘録及諸真言目録
門葉記 附同写本
涅槃経集解
解深密経巻第四 - (京都国立博物館寄託)
市文化財
青蓮院のクスノキ - 築地の上に4本、庭園に1本が立っている。親鸞聖人御手植の樹齢800年の大楠と伝わるが、地割に沿って生育していることから、それ以降に植栽されたものと考えられる。
観光名所
将軍塚大日堂 - 東山山頂の青蓮院飛び地境内にある塔頭。(※ 将軍塚紀行に別掲載)

歴史

平安時代
比叡山東塔の南谷にあった天台三千坊のひとつ「青蓮坊」が由来。円仁、安恵、相応など延暦寺の法燈を継いだ住坊となり、東塔の主流をなす坊であったと伝わる。
1150年
12世天台座主 行玄(藤原師実の子)が、「青蓮坊」を「青蓮院」と改め、実質的な初代門主となった。鳥羽法皇女御の美福門院の祈願所となり、東塔南谷の本坊となった。
1153年
鳥羽法皇の命により、粟田口に里坊が建立され、「三条白川房」と呼ばれた。
1177年
鳥羽上皇の第7皇子 覚快法親王(青蓮院2世)が、行玄の弟子として入寺し、以後、門跡寺院となった。
1181年
9歳の親鸞は、慈円のもと得度した。
1192年
慈円が第3代門主に就任し、天台三昧流の本丸として栄えた。
鎌倉時代
三条白川房が、吉水に移転し、さらに十楽院があった現在の地に移転した。親鸞得度の縁から、代々本願寺門主の得度を行った。
1403年
義円(第6代将軍 足利義教)が門主を務めた。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1608年
徳川家康による知恩院拡充に伴い、寺域を上知された。
1788年
天明の大火により御所が炎上し、後桜町上皇の仮御所となり、「粟田御所」と呼ばれた。
明治維新
上知令により境内は五分の一に減じた。
明治26年
火災により堂宇を焼失。
明治28年
再興された。

撮影後記

 平安神宮から神宮道を南進すると、門前に大きなくすのきが目に留まります。 天台宗の三門跡寺院(他は、三千院、妙法院)の由緒ある寺院です。 延暦寺にあった旧本坊は、東堂大講堂の南にある駐車場あたりが跡地で、近くに青蓮池があったと伝わります。 室町時代までは門主の山上勤めの住坊として使われ、無動寺や明王院なども青蓮院に属していたそうです。
 拝観に関して、春と秋に行われる夜の特別拝観でのライトアップが、とても幻想的でハイレベルなものです。 秘仏本尊の熾盛光如来が、光そのものの化身であることから、芸術的な照明演出に力を入れているそうです。

更新履歴

2013年1月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを東山から移動しました。

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