京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
真言宗泉涌寺派総本山泉涌寺の塔頭のひとつ。 寺伝によれば、聖徳太子が三条鴨川の西岸に貧しい人や孤児を救うために設けた福祉施設が起源と伝わる。 平安京の悲田院と寺院としての悲田院の関係は不明ではあるが、1308年(延慶元年)無人如導がこれを一条安居院(上京区青木町)に再興し、四宗兼学の道場としたという。 後花園天皇はこの寺を勅願寺とされ、当院に葬り奉られた。 以降当院住職は代々天皇の綸旨を賜わり紫衣参内が許された。 1646年(正保3年)泉涌寺80世如周恵公が高槻城主の永井直清の帰依により、現在地に移され泉涌寺の塔頭となったのが現在の悲田院である。
泉湧寺道から脇道に少し入ったところにある塔頭で、境内からは京都市街の眺望が利きます。 以前に堀川紫明にある大應寺(臨済宗相国寺派)をアップしましたが、ここが上京区扇町にあった悲田院の旧地になります。 拝観もしているようで、御住職自ら懇切丁寧に説明しながら案内してくれました。 京都の寺院で、これほど丁寧に対応して頂いたのは今までで二度目かな。
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