産寧坂地区

国の重伝建地区

東山の観光地として活況を呈する産寧坂、二年坂、八坂道、石塀小路一帯の地区。江戸時代末から大正時代にかけての町家が一体となった優れた歴史的風致を形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

産寧坂重要伝統的建造物群保存地区

産寧坂地区について

基本情報

名称
産寧坂(さんねいざか)
別称
三年坂(さんねんざか)
指定
産寧坂重要伝統的建造物群保存地区
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
東山安井・五条坂バス停から徒歩
所在地
京都府京都市東山区 清水二丁目・清水三丁目・下河原町・枡屋町・八坂上町・星野町・金園町・南町・鷲尾町・祇園町南側
サイト
一念坂・二年坂

概要

東山の観光地として活況を呈する産寧坂、二年坂、八坂道、ねねの道、石塀小路一帯のエリアである。 江戸時代末期から大正時代にかけての町家が一体となった優れた歴史的風致を形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 当初、清水寺や法観寺、祇園社などの門前町として始まり、江戸中期以降、これらの社寺を結ぶ通りに沿って町並みが形成された。 現在の沿道は、土産物店、陶磁器店、料亭などが甍を連ね、近世の名所巡りの系譜をひくものとみられる。 地区内の伝統的建造物が占める割合は65%で、江戸時代から明治時代のむしこ造り町家、明治時代の本二階建町家、大正時代の変形町家、大正時代の石塀小路町家、茶室建築の手法を取り入れた数寄屋風建築、門と塀のある和風邸宅の6種類に大別される。

見所

国重伝建地区
産寧坂(三年坂) - 清水寺楼門南にあった泰産寺(子安観音)への参詣道で、「お産が寧(やすら)かであるように」と祈願しながら坂道を上がったためというのが一説。大同三年(808年)に完成したから「三年坂(さんねんざか)」とも呼ばれ、この坂で転ぶと、三年以内に死ぬ、寿命が三年縮まるというのが俗信として有名。
二寧坂(二年坂) - 大同二年(807年)に完成したから名付けられたという説がある。三年坂の下なので「二年坂」とも呼ばれる。三年坂と類似し、ここでつまづくと二年以内に死ぬ、寿命が二年縮まるという俗説もある。
竹久夢二寓居跡 - 大正5年、京都に逃れた竹久夢二は、人目を忍ぶ逢瀬を重ねた恋人の笠井彦乃が訪れるまでの数ヶ月間を二寧坂付近の家で過ごした。
一念坂(一年坂) - 産寧坂(三年坂)、二寧坂(二年坂)とくるので一念坂(一年坂)と平成2年に命名された。ほぼ平坦な坂道である。
ねねの道 - 円山公園から圓徳院前を通り一念坂に至る道。平成10年、御影石2,500枚を敷き詰めた石畳の道に整備され、「高台寺道」から「ねねの道」と命名された。
ねねの小径 - 高台寺台所坂から圓徳院境内をぬけて石塀小路に至る延べ段の小道。
石塀小路(いしべこうじ) - ねねの道と下河原通との間の京情緒溢れる石畳の狭い路地。京町家の基礎部分の石垣が石塀のように見えることから。石畳は京都市電の軌道敷石を移設したもの。
八坂道(夢見坂) - 東大路通から八坂の塔を経由して二寧坂に至る八坂通の坂道。法観寺縁の聖徳太子が、いつか京に都が遷るという夢を見たという伝えから「夢見坂」と呼ばれる。正面に八坂の塔が見える。
維新の道 - 坂本龍馬や中岡慎太郎など維新の志士たちが眠る京都霊山護国神社へ向かう参道。
芭蕉堂 - 西行庵の隣にある茅葺きの小堂。蕉門十哲のひとり森川許六が刻んだ芭蕉の小像を安置する。松尾芭蕉のゆかりの地に、加賀の俳人 高桑闌更が1783年に建立した。芭蕉は西行を慕い、法師ゆかりの当地を訪れ歌を詠んでいる。
翠紅館跡 - 此の地に正法寺塔頭から公家の鷲尾家を経て西本願寺東山別院に寄附された「翠紅館(すいこうかん)」と呼ばれた屋敷があった。幕末、土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、長州藩の桂小五郎ら各藩の志士代表者会議で、攘夷の具体的な方法が検討された。(翠紅館会議)現在は老舗料亭「京大和」となっている。

行事

3月上中旬
東山花灯路 - 東山山麓の青蓮院から清水寺に至る小路に、清水焼、北山杉、京銘竹、石工、金属などで作られた行灯を点し散策を楽しむイベント。

歴史

807年
大同二年、泰産寺への参詣道として二寧坂が通されたとも伝わる。
808年
大同三年、泰産寺への参詣道として三寧坂が通されたとも伝わる。
明治末期
石塀小路の住宅地が開発された。
昭和47年
京都市の特別保全修景地区に産寧坂地区が最初に指定された。
昭和50年
文化財保護法に基づき、重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
平成7年
石塀小路地区が産寧坂重要伝統的建造物群保存地区に追加選定された。
平成10年
高台寺道が御影石を敷き詰めた石畳の道に整備され、「ねねの道」と命名された。

撮影後記

 以前は、電柱やら電線がうっとうしかったのですが、ココ近年で地下埋設され、空が広くなりました。 この界隈は外国人観光客も多く、京都の顔というより日本の顔でもあるので、ようやくかという感も拭えません。
 さらに、道路の下に電力や通信用ケーブルを収容する管路を設置し、それに伴い石畳舗装にもなりました。 京都市の無電柱化事業は、平成8年に夢見坂が無電柱化され、翌平成9年には、ねねの道が、平成20年に一年坂~二年坂~産寧坂、そして平成23年になって八坂通の地下埋設が完成しています。

更新履歴

2015年3月11日
初版をアップロードしました。

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