木嶋神社

蚕の社

太秦にある飛鳥時代創建の京都の古社のひとつ。養蚕技術を持っていた秦氏が、水の神を祀ったのが由来で、「蚕の社」と通称されている。境内の元糺の森にある池上には、三方正面の珍しい「三柱鳥居」が立つ。

木嶋神社

木嶋神社について

基本情報

社名
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
別称
木嶋神社、蚕の社(かいこのやしろ)
創建
飛鳥時代 - 「続日本紀」の大宝元年(701年)に記載あり。
主祭神
天御中主命、大国魂神、穂々出見命(ホオリ)、鵜茅葺不合命
旧社格
式内社(名神大社)、郷社
例祭
10月10日
駐車場
駐車場なし
交通機関
京福蚕ノ社駅徒歩3分、地下鉄太秦天神川駅徒歩5分、JR花園駅徒歩7分
住所
京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50

概要

太秦にある京都の古社のひとつで、「続日本紀」の701年の条に記載がみられる。 摂社に養蚕・織物・染色の始祖を祀る養蚕神社があることから、「蚕の社」と通称されている。 養蚕や機織の技術を持っていた秦氏が、水の神を祀ったのが由来と伝わる。 平安時代、祈雨の神として信仰され、祈雨の奉幣が行なわれていた。 境内は社殿を森が取囲み森閑としている。 嵯峨天皇がこの地から糺(ただす)を下鴨神社に遷したといわれ、「元糺の森」と呼ばれ、秦氏と賀茂氏との結びつきが想像できる。 元糺の森にある元糺の池上には、三方正面の珍しい「三柱鳥居」が立つ。

見所

市史跡
本殿 - 明治以降の再建。
拝殿 - 明治以降の再建。
舞殿 - 明治以降の再建。
元糺の森(もとただすのもり) - 社殿を取り囲む森。嵯峨天皇がこの地から「糺」を下鴨神社に遷したといわれる。秦氏と賀茂氏との結びつきが想像できる。
元糺の池 - 夏季土用の丑の日に手足を浸すと諸病にならないといわれる。
三柱鳥居(みばしらとりい) - 元糺の池に建つ三方正面の珍しい石鳥居。古代人が水を神格化した名残ともいわれる。
摂社 - 蚕養神社(東本殿) 。 養蚕・織物・染色の祖神を祀る「蚕の社」。
末社 - 八社、白清社、椿丘社、顕名社、魂鎮社。

祭事

7月土用の丑日
御手洗祭 - 元糺の池の霊水に手足を浸すと脚気をはじめ手足の諸病にならないといわれる。
10月10日
例祭

歴史

604年
推古天皇時代、秦氏がこの地に水の神を祀ったのが始まりともいわれる。
701年
「続日本紀」で「木嶋神」の記載がある。
平安時代
「延喜式」では名神大社に列格し、祈雨の神として信仰されていた。

撮影後記

 太秦にある古社で、住宅街の中に「元糺の森」と呼ばれる森閑とした境内が浮島のごとく鎮座しています。 ただ、世界遺産「糺の森」ほどは広くありません。 タイトルは「木嶋神社」としましたが、蚕ノ社と駅名にもなっている「蚕の社」の方が通りがよいです。 正式名称の木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味だそうです。
 この神社には、鳥居を正三角形状に三基組み合わせた「三柱鳥居」が有名ですが、撮影時、その存在を知りませんでした。 今度、撮影しなくちゃ。 これは京都三珍鳥居の一つだそうです。(他は京都御苑の厳島神社の唐破風鳥居と北野天満宮の伴氏神社の鳥居) ただ、残念ながら近隣の宅地開発が原因で、鳥居が立つ元糺の池の霊水が枯れてしまったそうです。

更新履歴

2012年5月31日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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