御香宮神社

御香水

伏見の産土神で、安産の神として信仰が篤い。境内には名水百選の「御香水」が湧き、万病平癒に効能があるとして知られる。社殿は桃山期の特色を残し、表門は伏見城の遺構。また、小堀遠州作とされる石庭がある。

御香宮神社

御香宮神社について

基本情報

社名
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)
通称
御香宮、御幸宮
創建
不詳 - 862年に社殿を修造した記録がある。
主祭神
神功皇后、仲哀天皇、応神天皇の他六柱
旧社格
府社
例祭
4月17日に例大祭、10月上旬に神幸祭
駐車場
境内に有料駐車場あり
交通機関
京阪伏見桃山駅・近鉄桃山御陵前駅・JR桃山駅それぞれ徒歩5分
住所
京都府京都市伏見区御香宮門前町
サイト
御香宮神社

概要

伏見城の西、伏見桃山にある伏見地区の産土神である。 境内には環境庁の名水百選に指定された清泉「御香水」が湧き出し、万病平癒に効能があるとして知られている。 神功皇后を主祭神とし、神功皇后の伝承から、安産の神として信仰が篤い。 豊臣秀吉が伏見城の守護神とした神社で、表門は伏見城の遺構。 鳥羽伏見の戦いでは官軍の屯所になった。 また、小堀遠州が伏見奉行所内に作ったとされる庭園がある。

見所

国重要文化財
本殿 - 徳川家康の命で再建。平成2年の修理で、桃山文化の極彩色彫刻が復元された。
表門 - 旧伏見城大手門。徳川頼房(水戸光圀の父)の寄進によって。
金熨斗付太刀 - (東京国立博物館寄託)
府文化財
拝殿 - 徳川頼宣寄進により創建。平成9年の解体修理で極彩色が復元された。
市天然記念物
ソテツ - 覆いなしで越冬、開花結実する珍しいソテツ。
名水百選
御香水 - 伏見の七名水の一つ「石井の御香水」
観光名所
明治維新 伏見の戦跡の石碑 - 鳥羽伏見の戦いで官軍(薩摩藩)の屯所となった。
庭園 - 小堀遠州ゆかりの石庭。
ところがらの藤 - 後水尾上皇命名。遠州ゆかりの石庭に移植された。
おそらく椿 - 樹齢約400年の五色の散り椿。小堀遠州が、「おそらくこれほど見事な椿は他にない」と言わしめた。

祭事

1月1日
若水神事
1月7日
七種神事(七草粥)
2月の卯日
御弓始神事 - 「鬼」と書いて裏返しにした邪気に見立てた的に矢を射って平穏祈う。
4月17日
例大祭
7月31日
茅の輪神事 - 本殿と拝殿の間に茅の輪をかけ、神職がくぐった茅の輪の茅萱を、各家庭の門口に吊るすと疫病にかからないといわれる。
9月第3土曜
神能奉納
10月上旬
神幸祭 - 「伏見祭」とも称される大祭。3基の神輿、獅子若や武者行列と稚児行列が氏子町内を練り歩く。
11月15日
御火焚祭
12月中卯日
醸造初神事

歴史

平安時代
御諸神社(みもろじんじゃ)と称したと伝わる。
862年
境内から香り高き霊泉が湧き、この湧水を飲むと如何なる病気をも癒すといわれ、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝わる。
鎌倉初期
筑前の香椎宮(かしいぐう)を勧請したとも伝わる。
1590年
豊臣秀吉が伏見城築城の際、当社を城内に勧請し、鬼門除けの守護神とした。
1605年
徳川家康が、元の地(現在地)に戻し、本殿を造営した。
明治元年
鳥羽伏見の戦いでは、伏見奉行所が新選組など幕府軍の拠点となり、御香宮神社は、官軍(薩摩藩)の屯所となった。
昭和初頭
国道24号の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家中根金作の手によって再現された。
昭和60年
清泉「御香水」が、環境庁の名水百選に指定された。

撮影後記

 サブタイトルに御香水としましたが、今、その水が問題になっています。 つい先日、御香水から基準を超える硝酸・亜硝酸性窒素が検出されたため飲用が禁止されてしまいました。 生活排水などが原因かと思われますが、厄介なことに、汚染源の特定が困難らしいのです。 伏見は伏流水の「伏水」から名付けられたとも云われるほど、水とは切っても切れない酒どころ。 原発の汚染水もしかり、今後が気になるところです。
 今秋行ったら解決されていました。 濾過機を設置し、水質が改善され汲めるようになったとのことです。

更新履歴

2011年9月7日
初版をアップロードしました。
2012年1月17日
ギャラリーに作品を3点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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