更雀寺

雀寺

793年開創の浄土宗西山禅林寺派の古刹で、別名「雀寺」。陸奥に左遷され亡くなった藤原実方が、望郷の念から雀に転生し京に戻り、当時の住職の夢枕に現れて救済を求め、雀を塚に埋めて弔ったことに寺号は由来する。

更雀寺

更雀寺について

基本情報

山号寺号
森豊山更雀寺(しんぽうざんきょうしゃくじ)
別称
雀寺(すずめでら)
宗派
浄土宗西山禅林寺派
創建
793年(延暦十二年)
開山
賢憬
開基
賢憬
本尊
阿弥陀如来
札所
洛陽四十八願所 第3番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
叡電京都精華大前駅徒歩3分、精華大前バス停徒歩3分
住所
京都府京都市左京区静市市原町738-1

概要

793年(延暦十二年)開創の浄土宗西山禅林寺派の古刹。 もとは洛中にあったが、昭和52年に静市市原町に移転した。 別名「雀寺」と呼ばれている。 これは平安時代中期の歌人であった藤原実方が、陸奥守に左遷され亡くなり、望郷の念から雀に転生し京に戻り、雀は当時の住職 観智法印の夢枕に現れて救済を求め、雀を塚に埋めて弔ったという。 以来、「更雀寺」と呼ばれるようになった。 地蔵堂には壬生大念佛狂言の「桶取」のモデルとなった桶取地蔵(雀森地蔵)が安置されている。

見所

観光名所
本堂 - 昭和52年の建立。
地蔵堂 - 壬生大念佛狂言の「桶取」のモデルとなった桶取地蔵(雀森地蔵)が安置されている。洛陽四十八願所地蔵めぐり第3番札所。
雀塚 - 雀に転生したという歌人 藤原実方の墓と伝えられる五輪塔が立つ。

歴史

793年
桓武天皇の勅願により、賢憬が千本三条付近にあった藤原家の勧学院跡地に開創した。
1624~1644年
寛永年間、勧進僧の浄春が錦大宮町に再興し浄土宗に改宗された。
1661~1673年
寛文年間、霊元天皇の命により洛陽四十八願所の霊場のひとつになった。
1788年
天明の大火により焼失した。
昭和52年
四条大宮から現在地に移転した。

撮影後記

 壬生狂言に出てくる桶取地蔵について。 壬生寺(実際は更雀寺)近くに住んでいた白拍子の娘 照子は、生まれつき左手の指が三本しかなかった。 来世、障害のない人間に生まれることを祈願した照子は、壬生の尼ヶ池の水を閼伽水として地蔵に毎日供えていたということから、「桶取地蔵」と呼ばれるようになったそうです。 また、雀の森(歓学院の森)に寺があったことから「雀森地蔵」とも。 これは、藤原実方の雀の伝承からです。

更新履歴

2015年9月15日
初版をアップロードしました。

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