蹴上インクライン

疏水の傾斜鉄道

琵琶湖疏水の傾斜鉄道(Incline)のひとつで、明治24年から昭和23年まで運行されていた。落差の大きい場所を運行できない船運では、インクライン軌道上の船台に載せて上下させていた。春は花見名所として賑わう。

蹴上インクライン

蹴上インクラインについて

基本情報

名称
蹴上インクライン(けあげいんくらいん)
指定
国史跡(琵琶湖疏水)
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄蹴上駅すぐ
所在地
京都府京都市左京区・東山区

概要

蹴上にある傾斜鉄道(インクライン)で、琵琶湖の水を京都に引き込む琵琶湖疏水工事(明治18年~23年)の一環として建造された。 船運では落差の大きい場所を運行できないため、インクラインの軌道上にある船台に載せてケーブルで引っ張り上下させていた。 蹴上船溜りと南禅寺船溜りを結ぶ延長582m、高低差36m、勾配15分の1で、明治24年11月に蹴上発電所が送電を開始し、12月に蹴上インクラインが運転開始した。 昭和に入ると舟運は衰退し、昭和23年に運行を休止したが、産業遺産として昭和52年に復元されて形態保存されることとなった。 蹴上疏水公園には、琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設など多大な功績を遺した田邉朔郎博士の銅像が立っている。 また桜並木となっていて、春は花見名所としても賑わう。

見所

国史跡
蹴上インクライン - 蹴上船溜りと南禅寺船溜りを結ぶ延長582m、高低差36m、勾配15分の1の傾斜鉄道。昭和52年に撤去されたレールが復元され、舟台2台が軌道上に設置された。桜並木で、春は花見名所としても賑わう。
第三隧道出口部分 - 第一疏水(山科疏水)の第3トンネル出口。南側に旧九条山ポンプ場がある。
観光名所
蹴上船溜り - 第一疏水の第3トンネル出口付近にある船溜りで、後に開削された第二疏水も合流し、小川頭までの疏水分線にも分かれる。
南禅寺船溜り - 白川合流点にあるインクライン下端の船溜。船溜りにある噴水は、琵琶湖疏水の高低差による水圧だけで噴き上がっている。
蹴上発電所 - 明治24年に送電を開始し、蹴上インクラインの運転を支えた。現在は関西電力所有の無人発電所となって、蹴上船溜から水圧鉄管が伸びている。
蹴上疏水公園 - 琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設など多大な功績を遺した田邉朔郎博士の銅像が立っている。
ねじりまんぼ - インクライン下の歩行者用トンネル。「まんぼ」は隧道を意味する方言で、天井の煉瓦が巻き貝のように螺旋状に組まれている。入口には北垣国道府知事の揮毫「雄観奇想」「陽気発処」がある。
琵琶湖疏水記念館 - 琵琶湖疏水の完成100周年を記念して、京都市が南禅寺船溜りに平成元年に開館した。所蔵資料は近代化産業遺産に指定されている。

歴史

明治23年
琵琶湖疏水(第1疏水と疏水分線)が竣工した。
明治24年
11月に蹴上発電所が送電を開始し、12月に蹴上インクラインが運転開始した。
明治45年
第2疏水が竣工し、日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場が設置された。
昭和23年
蹴上インクラインが休止した。
昭和24年
御所水道を転用して、九条山浄水場が完成した。
昭和35年
蹴上インクラインの電気設備が撤去された。
昭和48年
山ノ内浄水場取水点が夷川から蹴上に変更となり、送水管敷設のためインクラインのレールが撤去された。
昭和52年
蹴上インクラインのレールが復元された。
平成元年
琵琶湖疏水竣工100周年記念事業として、琵琶湖疏水記念館が開館した。

撮影後記

 現在でも運河が発達しているイギリスなどでは、「ロック」という水門と水門で区切った閘門で水を増減させて高低差を通過する場所が見られますが、このインクラインは傾斜を利用して船を鉄道で運ぶという珍しいものです。 琵琶湖疏水下流の伏見にも、鴨川運河の建設のときに建設された「墨染インクライン」がありました。
 蹴上という地名は、源義経が奥州へ向かうために東海道を下り始めたとき、平家の武者とすれ違い、馬が蹴り上げた泥水が義経にかかり、晴れの門出を邪魔された義経は、平家の武者九人を切り捨てたという伝説に由来しています。 現在、疏水公園の西の大日堂には「蹴上の石仏」があって、義経が怒りにまかせ愚かな行為を悔やみ安置したといわれています。

更新履歴

2015年3月9日
初版をアップロードしました。
2015年9月17日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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