桜丸の夫婦桜

江戸彼岸と枝垂桜

飯田市の県合同庁舎にエドヒガンとシダレザクラが咲き分け、「夫婦桜」と呼ばれる樹齢400年の老木がある。ここは飯田城桜丸御殿址で、初代藩主の脇坂安元が、娘の婚礼のため2本の桜を仲良く隣に植樹したと伝わる。

桜丸の夫婦桜

桜丸の夫婦桜について

基本情報

呼称
桜丸の夫婦桜(さくらまるのめおとざくら)
別称
桜丸御殿址のヒガンザクラ
樹種
江戸彼岸桜と江戸彼岸の枝垂桜
樹齢
推定400年 - 現地解説板。
推定300年以上 - 平成3年 環境庁調査報告書。
樹形
根周8.2m、樹高12m - 現地解説板。
幹周4.0m、樹高15m、枝張10m - 平成3年 環境庁調査報告書。
見頃
例年4月上旬頃
夜桜
ライトアップなし
駐車場
無料駐車場あり - 長野県飯田合同庁舎駐車場利用。
所在地
長野県飯田市追手町2丁目(標高490m)
開花状況
飯田市さくらさく

概要

飯田市追手町の県合同庁舎東奥庭に、エドヒガンザクラとシダレザクラが咲き分けている珍しい老木が立っている。 ここは飯田城本丸御殿の別邸として桜丸御殿があった場所で、飯田藩初代藩主の脇坂安元(飯田藩主1617年~1654年)が養子を迎えた際、「娘と婿殿の婚礼のために仲良く近くに植えた方がいい」と、2本のサクラを庭園の中心に植樹したと伝わっている。 2本のサクラは次第に根元が癒着し、「夫婦桜」と呼ばれるようになった。 庭園には飯田藩主脇坂氏時代(1615年~1672年)に数多くの桜が植栽され、「桜丸御殿」の呼称となった。 このサクラはその名残を今にとどめる名木である。

撮影後記

 鉄筋コンクリートの無骨な県合同庁舎裏の一角にありますが、飯田城「桜丸御殿」と称された名残を今にとどめる場所です。 頭頂部は枝折していますが、無類の桜好きであった飯田藩初代藩主脇坂安元が婚礼のために植えたと伝わります。 植栽した当初はどちらもシダレザクラであると思い込んでいたとか。 古桜あるところには由緒があって、歴史ロマンを感じさせてくれる名桜です。 二の丸址にある美術博物館の安富桜(長姫のエドヒガン)とセットで桜巡りするとよいでしょう。

更新履歴

2019年3月14日
初版をアップロードしました。

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