誓願寺

浄土宗西山深草派総本山

新京極にある浄土宗西山深草派の総本山で、飛鳥時代開創と伝わる古刹。東京遷都後、京都に大歓楽街が計画され、境内地の大部分が上地されて今日の新京極が生まれた。落語発祥の寺、芸道上達の寺としても知られる。

誓願寺

誓願寺について

基本情報

寺号
誓願寺(せいがんじ)
宗派
浄土宗西山深草派
寺格
総本山
創建
667年(天智天皇六年)
開山
恵隠
開基
天智天皇
本尊
阿弥陀如来
札所
洛陽三十三観音霊場 2番、新西国三十三観音霊場 15番、法然上人二十五霊場 20番など
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
河原町三条バス停徒歩5分、阪急河原町駅徒歩10分
住所
京都府京都市中京区桜之町453
サイト
浄土宗西山深草派総本山誓願寺

概要

新京極にある浄土宗西山深草派の総本山である。 飛鳥時代の667年、天智天皇の勅願により奈良に開創されたのが起源と伝わる古刹である。 平安遷都後、西山上人証空の弟子円空が京都の深草に移し、豊臣秀吉の都市改造政策により三条寺町に移った。 東京遷都後、京都府参事 槇村正直は三条から四条間に大歓楽街を計画し、6500坪のうち4800坪の境内地が上地され、京都随一の繁華街である今日の新京極が生まれた。 和泉式部が深い信仰を寄せ、世阿弥作謡曲「誓願寺」に謡われ、落語の祖とされる第55世策伝上人など、落語発祥の寺、芸道上達の寺としても広く信仰を集めている。

見所

国重要文化財
絹本著色誓願寺縁起3幅 - (京都国立博物館寄託)。
木造毘沙門天立像 - 平安時代の作。(京都国立博物館寄託)
府文化財
絹本著色地蔵十王図11幅 - 南宋時代の作。
観光名所
本堂 - 昭和39年の再建。度重なる火災消失で鉄筋コンクリート造。
扇塚 - 芸道上達を祈願する舞踊家や落語家などが扇子を奉納する。京都最古の篠塚流の祖 篠塚文三郎(梅扇)が、誓願寺の和泉式部を信仰し、扇塚が建てられたという。
迷子のみちしるべ - 正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教ゆる方」、左側に「尋ぬる方」と彫られた西門に立つ石柱。江戸時代末から明治中期に、この石に紙を貼って落し物などの情報交換を行っていた。阿弥陀如来の霊験にあやかって建立されたといわれる(新京極七不思議)。
墓地 - 安楽庵策伝(落語の祖)、山脇東洋(江戸時代の解剖学者)、渡邊勘兵衛(石田三成の家臣)、摩阿姫(前田利家の三女)、堀元厚(江戸時代の医師)、穂井田忠友(江戸時代の考古学者)など。

行事

1月15日
初洛陽六阿弥陀めぐり
6月初旬日曜
謡曲誓願寺和泉式部忌
10月初旬日曜
策伝忌 - 落語会が奉納される。

歴史

667年
天智天皇の勅願により、恵隠僧都が奈良に三論宗寺院として開創したと伝わる。
784年
山城国乙訓郡に移された。
794年
平安京遷都に際し、伏見深草に移された。
平安時代
和泉式部が出家し、境内に庵を結んだと伝わる。
1175年
法然が参籠し、第21世蔵俊が帰依したことから浄土宗に改められた。
鎌倉時代初期
一条小川(上京区元誓願寺通小川西入ル)に移った。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1591年
豊臣秀吉の都市改造政策により、三条寺町に移された。
1788年
天明の大火により焼失した。
1845年
火災で焼失した。
1864年
禁門の変(蛤御門の変)で焼失し、本尊も焼失した。
明治2年
阿弥陀寺の石清水八幡宮本地仏を本尊として遷した。
明治5年
6500坪のうち4800坪の境内地が上地され、新京極が生まれた。
昭和7年
本堂が焼失した。
昭和39年
現本堂が再建された。

撮影後記

 先日、NHKのブラタモリでも採り上げられていましたが、現在の修学旅行生などが賑わいを見せる新京極通は、江戸時代には誓願寺と染殿院の本山である金蓮寺(北区鷹峯に移転している)の境内地の参道で、縁日の露店などが立ち並んでいました。 現在の新京極の路地も、昔の境内の参道が基となっています。

更新履歴

2015年1月19日
初版をアップロードしました。

誓願寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野